小澤 純

じっくり読んで、最後に書く

ozawa04.jpg国語(主に近現代)を担当している小澤です。授業では、とにかくイヤというほど文章を読みます。生徒からは「まるで紙がゴミのようだ!」と嘆かれますが、配られたプリントやテキストを、いわゆる持ち腐れにするか、それとも一生の宝とするかは、生徒一人一人の、読む経験一回一回の深浅に懸かっています。その決定的な成長を促すため、「国語」という枠を大切にしつつ、しかしゆるやかに、ときに大胆に離陸していく授業内容を心掛けています。近現代の文学を歴史的に理解してもらうため、1年次では明治から大正を、2年次では大正から昭和を、3年次では昭和から平成の日本文学を主に扱っています。

そもそも〈読む〉とは、どのような行為なのでしょう。本を読む、と言うけれど、「天気」も「空気」も「心」も、そして「未来」も読む対象です。じっくり読み解釈する行為は、書物に限定されることなく、必ずどこかで現実の世界、そして一歩前や一歩先の可能世界へと繋がっています。しかも、生きている限り決して終わることのない、いわば呼吸に類比される営為なのです。授業は、呼吸のように無意識になっていた自らの〈読み方〉を一旦は意識的に対象化し、他の〈読み方〉を模索することで自分自身の内的な世界と外的な世界を繋げ直す、大切な現場です。そのため、なるべく多くディスカッションを設け、生徒同士が多様な〈読み方〉を実感し合い、切磋琢磨する機会を作っています。そして必ず最後には、自分一人の価値判断による文章を書いてもらいます。〈読む〉ことは、同時に自らの心のあり方を〈詠む〉ことであり、目覚ましい成長を遂げた生徒達のレポートに接することは、一読者としてとても幸せです。学年末に創作をよく課題にしますが、〈読み方〉を努めて広げた生徒ほど、〈詠み方〉も桁違いに豊かであることが圧倒的に多いです。

ozawa02.jpg 私も、生徒達が経験していく未来を読み、日々、より効果のある教材や教育方法を探さなければなりません。学生時代、日本の近現代文学を学びましたが、興味関心は、まず古今東西の文芸諸ジャンル、哲学や美術やサブカルチャーにも自ずと向かっていきました。なんと世界は、謎に満ちているのかと。現在も、新たな才能はいたるところに生まれつつあり、生徒を触発する傑作は、文学に限らず、映画やドラマや漫画やアニメ等へと、無限に広がっていると実感します。そして、新しい〈読み方〉も、発明される瞬間を待っているはずです。とにかく生徒達には、好奇心の赴くまま、いいものにどんどん触れ、その驚きや感動を自分の世界へとぶつけてほしい。ただし、この〈いい〉には、「恐ろしい」や「おぞましい」や「まがまがしい」等を漏らさない、現実/非現実を跨ぐリアリティがひしめいていること。――私の授業のスタート地点は、そうした強度のある〈読み方〉を深めていく長い長い冒険の旅の第一歩目だと思ってください。

自由選択科目では、SF(サイエンス・フィクション)やファンタジー等、生徒達が子供の頃から親しんできたジャンルを題材に、長時間かけて発表する場を設けています。安部公房、村上春樹、伊藤計劃、押井守、ディック、イーガン、『ドラえもん』、『ウルトラQ』、『スター・ウォーズ』、『輪るピングドラム』、ゲームシナリオの構造論......。「好きこそものの上手なれ」と言いますが、興味ある対象を真剣に考察し解釈する生徒達の眼差しには、いつも圧倒されます。一人一人が試行錯誤を繰り返すパイオニアであり、その勇気ある、新しいことばの離陸を、これからも見守っていきたいと思います。入学してくる新たな顔ぶれに期待すると共に、教室で賑やかだった卒業生達が活躍する将来の姿を、今も、心から愉しみにしています。

 

 

小澤 純(おざわ じゅん)
担当教科:国語 バスケットボール部副部長

(2013年7月)