6.志木演説会

志木演説会とは

mitaenzetsukan01.jpg志木演説会とは、英語のspeechに「演説」、debateに「討論」という訳語を作り、口頭で自分の意思を多数の相手に伝達することの重要性を説いた福澤諭吉の精神を受け継ぎ、また、慶應義塾の「三田演説会」に倣って1957(昭和32)年に創設された、我が校の伝統行事です。2013(平成25)年7月に行われた合氣道家藤平信一氏の演説会で114回を数えます。志木演説会 全114回の記録を末尾に載せましたのでご覧ください。

さて、志木演説会が始められた翌年、1958(昭和33)年度『学校案内』中「志木演説会」の項目から要点を抜粋してみます。ここには発足当初に企図された形が記されています。

志木演説会
福澤先生が始められた三田演説会に模して近頃開始された課外教育の一つである。演説会という名前はいかにも古めかしいが塾の内外、各界の著名士を招いて講演を行い、教場では得られない多方面にわたる新しい知識を広め、教養を高める企として期待されている。この演説会はだいたい学校の休暇期間を除いて月一回位行うことを目指して準備されている。

この文章からもわかるように志木演説会は発足当初はかなり頻繁に行われていたようです。途中中断された時期もありましたが、やがて年に2、3回の形で落ち着いて現在に至っています。1966(昭和41)年からはそのうちの1回を2月3日(福澤先生命日)に開催し、福澤先生ないしは慶應義塾に関わる演題の講演とすることが定例になりました。なお近年は日程の関係で2月3日の演説会は行われていません。7月、12月の年2回の開催となっています。

志木演説会の目的

志木演説会がいわゆる「講演会」ではなく「演説会」と名づけられた理由は、前述した通り三田演説会を模して始められたものだからです。

mitaenzetsukan02.jpgでは、福澤が演説をどのように考えていたかについて見てみましょう。福澤は現在の演説ということばの用法よりもずっと広い意味でこのことばを捉えていました。『学問のすゝめ』第12編や『会議弁』などには福澤の演説についての考えが述べられています。『学問のすゝめ』第12編前半「演説の法を勧むるの説」の冒頭には、「演説とは、英語にてスピイチと云ひ、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思ふところを人に伝るの法なり」と書かれています。福澤は演説とは「話し手」が多くの人の前で自ら思うところを自らのことばによって直接に伝達するための「方法」であると述べています。また、「演説」は単に話し手の意思の一方的な伝達ではなく、話し手と聞き手の相互交流の「方法」であり、話し手と聞き手がその立場を随時入れ換えて、自ら思うところを述べあう「集会談話」や「討論」の重要性も指摘しています。また真の学問を成立させるためには演説によって智見を交換させることが必要で、そのために演説会が必須なのだと述べています。こうした演説を実践する場として設けられたのが三田演説会でした。ですから初期の演説会においては討論会が重視されていました。

志木演説会は実際には講師を招いての講演会の形式をとっており、その点では演説会の名にふさわしいものかどうか検討の余地はあります。しかし講演後の活発な質疑応答の中に演説会の精神は生きているのだと思います。

第84回志木演説会

第84回志木演説会
日時 1999(平成11)年12月17日(金)
場所 本校体育館
前半 ディベート 論題 原発の是非
後半 講演 21世紀のエネルギーの展望
   講師 藤田祐幸慶應義塾大学法学部助教授

印象深い演説会の試みを一つご紹介しましょう。1999(平成11)年9月に起きた東海村JCO臨界事故を受けて企画されたのが第84回の志木演説会です。国内初の事故被爆による死亡者を出した事故として記憶されている方も多いと思います。

fukuzawa_shouzou02.jpgこの第84回は異色の演説会でした。まずテーマの即時性という点で他に例を見ないものでした。原発事故後すぐにこのテーマで、反原発派として活動されている藤田祐幸法学部助教授(当時)をお招きして行われました。また生徒が壇上に立ち、時間の半分を使ってディベートを行ったのも異例でした。そして、事前の準備に教科を越えて教員が指導に当たったこと、これもたいへんに珍しいことでした。ディベートの指導はもとより、原発問題を話し合うにあたっては各教科がたくさんの資料を提供し、生徒の指導に当たりました。その結果たいへんに面白いディベートが行われたのです。詳しいディベートの記録は校内誌『欅』第8号に載っています。壇上でのディベートは1チーム5名で、1年生、3年生が混合でチームを組み、原発肯定側、否定側に分かれて行いました。二期の期末試験後(11月下旬)に準備を始めましたので準備期間は短かったのですが、よく下調べをし、ディベートでは各々十分に練り上げられた論を展開してくれました。ジャッジは全生徒が行いました。当日のディベートは勝ち負けを越え、参加者がことばのキャッチボールを楽しむ余裕も感じられました。志木高生の最上の部分がよく表れたディベートであったと思います。

2011(平成23)年3月、福島第一原子力発電所事故が起こりました。現在我々はその状況下に生きています。12年前の志木演説会を思い返します。教育の場で、「演説会」という試みに何ができるのでしょうか。

第84回の志木演説会は、議論の水準も内容もすばらしいものでした。ただそれが一回かぎりのものであったこと、日常の学校生活の中に十分な議論の場が育ってはいないことは否定できません。福澤の目指した、互いに議論を尽くして社会的な合意を形成していく世の中への道のりはいまだ遠いと言えるでしょう。志木演説会の目指すところはあくまでもこの議論を尽くせる人間を育てるところにあるのです。

志木演説会全記録

第1回~第79回
 

第80回~第114回

回数 開催年月日 講師 講師所属・職位等 演題 会場
80 1998/7/15 小林司 精神科医、
シャーロックホームズの紹介者
生きがいはなにか 志木市民会館パルシティ
81 1998/12/16 山崎元 スポーツ医学研究センター教授 慶應義塾のスポーツ医学
―福澤先生と小泉先生―
志木高体育館
82 1999/2/3 村井実 名誉教授 日本の歴史と福澤先生 志木市民会館パルシティ
83 1999/7/15 萩野竜也 環境情報学部助教授 インターネット技術と社会 志木市民会館パルシティ
84 1999/12/17 藤田祐幸 法学部助教授 21世紀のエネルギーの展望 志木高体育館
85 2000/2/3 白井堯子 千葉衛生短期大学 オックスフォード史料が描く福澤諭吉と慶應義塾 幼稚舎自尊館
86 2000/7/3 吉田進 志木高16期卒業生、
作曲家
僕の音楽遍歴
―現代音楽から演歌まで
志木高体育館
87 2000/12/15 宮島司 法学部教授、
志木高校長
商法改正の論理
―過去、現在、そして未来の商法
志木市民会館パルシティ
88 2001/2/3 宮下啓三 文学部教授、
元志木高校長
スイスで百年前の日本を思う
―大国と小国、福澤諭吉と中江兆民―
志木市民会館パルシティ
89 2001/7/7 吉川忠英 志木高15期卒業生、
ミュージシャン
個性とは 志木市民会館パルシティ
90 2001/12/14 岡野栄之 志木高27期卒業生、
医学部教授
傷ついた脳は蘇るか?
―再生医学への挑戦―
志木市民会館パルシティ
91 2002/2/2 寺崎修 法学部教授、
福澤書簡集編集委員
裁判と福澤諭吉
―明治13年・天主教徒自葬事件とその裁判
志木市民会館パルシティ
92 2002/7/18 井上輝夫 総合政策学部教授、
前ニューヨーク学院長
わたしの9.11 志木市民会館パルシティ
93 2002/12/13 岩谷十郎 法学部教授、
福澤研究センター副所長
法文化の翻訳者
―ことばと法と福澤諭吉
志木市民会館パルシティ
94 2003/7/18 鎌倉光宏 看護医療学部助教授 世界の新しい感染症
―とくにAIDS、SARSについて―
志木市民会館パルシティ
95 2003/12/12 井田良 法学部教授 人の生命の法的保護をめぐって 志木市民会館パルシティ
96 2004/7/16 桜本光 商学部教授 アジアの経済発展と環境保全
―国際産業連関分析の応用―
志木市民会館パルシティ
97 2004/12/17 加藤文俊 環境情報学部助教授 フィールドワークで考える 志木市民会館パルシティ
98 2005/7/14 水島朝穂 早稲田大学法学部教授 いま、憲法について考える 志木市民会館パルシティ
99 2005/12/16 牧野元昭 ギタリスト、作曲家 (演題なし) 志木市民会館パルシティ
100 2006/7/13 安西祐一郎 慶應義塾長 「未来への先導者」となるために 志木市民会館パルシティ
101 2006/12/15 生徒主体の演説会、研究発表、討論会 志木市民会館パルシティ
102 2007/7/20 下村裕 法学部教授、
志木高校長
実演!回転する物体の不思議な運動 志木市民会館パルシティ
103 2007/12/14 小此木政夫 法学部教授 北朝鮮と日本外史 志木市民会館パルシティ
104 2008/7/18 高野和明 作家 小説を書くということ 志木市民会館パルシティ
105 2008/12/18 後藤邦吉 元志木高教諭(保健体育) 本校設立60周年 志木市民会館パルシティ
松崎欣一 元志木高教諭(社会)
龍田正浩 元志木高教諭(数学)
106 休会
107 2009/12/18 茂木健一郎 脳科学者、
ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、
東京工業大学大学院連携教授
脳と創造性 志木市民会館パルシティ
108 2010/7/16 安田知博 尺八奏者、
フリーアナウンサー
三つの出会い 志木市民会館パルシティ
109 2010/12/17 松岡修造 元プロテニスプレーヤー、
スポーツキャスター
いつも心は若き血!
― 僕が慶應義塾、そしてテニスから学んだこと―
志木市民会館パルシティ
110 2011/7/15 清家篤 慶應義塾長 生涯現役社会の条件 志木市民会館パルシティ
111 2011/12/16 清水義也 観世流能楽師 日本の伝承と力 志木市民会館パルシティ
112 2012/7/20 江藤省三 慶應義塾大学硬式野球部監督 好きなことと高校生 志木市民会館パルシティ
113 2012/12/20 竹本越若
鶴澤賀寿
女流義太夫浄瑠璃
三味線
情を語る
―家元制のない古典芸能―
志木市民会館パルシティ
114 2013/7/6 藤平信一 合氣道家 心を静める
―大事な場面で実力を発揮する
志木市民会館パルシティ
【参考文献】
  • 「志木高五十年」編集委員会編『志木高五十年』(慶應義塾志木高等学校、1998年) 松崎欣一(5)志木演説会 p271-288
  • 梅地宏・速水淳子「第八十四回志木演説会について」慶應義塾志木高等学校 研究紀要30 2000年3月
  • 「ディベート 論題 原発の是非」『欅』第8号  2000年3月

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