庄村拓也君(2014年3月卒/理工学部1年)

shomura01.jpg庄村君は大学1年生にして、気象予報士試験に合格されました。気象予報士の資格を取ってみようと思ったきっかけは何ですか?

僕は、もともと天気予報をあまり信用していませんでした。中学時代、自転車通学をしていたので、天気はいつも気にかけていましたが、テレビの天気予報は外れることが多かったからです。それで、自分で天気を知ることができたらいいな、と思っていたのが一つの理由です。

もう一つは、高校時代に所属していた卓球部の顧問、樋口聡先生の影響です。先生は理科の教員として教鞭を執られる傍ら、ご自身も気象予報士の資格をお持ちで、部活の休憩時間などに時折、「明日は雨が降るぞ」などと天気を予報してくれることがありました。

そんなことろから僕は気象に興味を持つようになって、3年自由選択科目「地学」の授業の中で、実際に樋口先生から気象予報の基礎を教わり、先生の勧めもあって、その年の8月に気象予報士試験にトライしてみました。初挑戦で学科試験は合格。実技試験を落として資格取得には至りませんでしたが、学科試験合格者は、1年以内の再受験に限り同試験が免除になるという制度があったので、さらに勉強を継続して翌年の1月に2回目の挑戦、この時も残念ながら実技試験は不合格で、今回、3回目の挑戦でようやく念願の資格が取れました。

shomura03.jpg「ようやく」と言いますが、気象予報士試験は、合格率6%未満(2014年10月現在)という、大変難しい試験ですよね。現役の大学1年生が、たった3回のトライで合格するというのは素晴らしい快挙だと思います。合格に向けて、どのような勉強をしましたか?

過去問を解いたり、普段から天気図を見るようにしたりしました。高校の時は、学校の勉強や部活動が忙しかったので、その中で資格試験の勉強をするのはやや大変でした。大学に入ってからは、勉強は難しくなりましたが、時間的には少し余裕ができたので、夏休みに3週間ほど、みっちり試験勉強をしました。

学科試験の方は暗記力が、実技試験の方は記述力が求められる試験なのですが、記述力という点に関しては、志木高の普段の授業でたくさんレポートを書いてきた経験が、大いに役立ちました。

庄村君は3年生のときに、高大連携講座という制度を利用して、本校6時間目の授業のあとに日吉キャンパスで行われる大学の授業も受けていました。どのような授業を受けていましたか?その時の感想も含めて教えてください。

理工学部の1年生は、将来専攻する領域によって、学門1~5までのいずれかを選択することになっています。「学門」とは、"学びの庭への入口"という意味の言葉で、「学門1=物理」、「学門2=数学」、「学門3=化学」、「学門4=メカニクス」、「学門5=情報」と大きく5つの分野に対応しています。僕は、化学に興味があったので「学門3」に設置されていた「線形代数」と「微分積分」のうち、「線形代数」を受講しました。

受けてみようと思うきっかけをくれたのは、部活の友人でした。当時、卓球部には僕を含めて同期が5人いて、みんな仲がよかったんです。その仲間のうちの一人が高大連携講座のことを教えてくれて、「大学の授業が受けられるなら、みんなで行ってみよう」ということで一緒に受講しました。片道1時間半の通学は大変でしたが、仲間がいたので楽しく通えました。

最初は、同じ教室にいる大学生がみんな頭のいい人たちに思えて少し不安でしたが、成績のつけ方などにおいて、高校生だからという配慮が一切ないことを知り、逆に「大学生に負けてはいられない!しっかり勉強して、必ず単位をとってやる!」という、闘志みたいなものが沸いてきました。一生懸命勉強した結果、無事に単位も取れ、今でも受けてよかったと思っています。

shomura04.jpg志木高の授業で、特に印象に残っている授業はなんですか?

印象深い授業はたくさんあります。僕は理系志望だったけれど、文系の科目のほうがより特色があって、記憶に残っているものが多いかもしれません。たとえば、大垣内先生の「日本語各論」の授業で、柿を食べながら俳句を詠んだのも面白い経験だったし、原先生の日本史の授業で仏教美術の話を聞いたり、美術館を見学してレポートを書くものがあり、それ以来美術に興味を持つようになったりもしました。また、2年生の「総合的な学習の時間」では、23言語のうちから前期にベトナム語を、後期にポルトガル語を選択したんですが、言語だけではなく文化も学べる授業で、料理などもして、面白かったですね。

理系の科目では、「石島先生の化学が辛かった」という記憶しかないです(笑)。とにかく毎週実験をしてレポートを書くんですが、考えても考えてもなぜそうなるのかわからない。あれは辛かった。ところが、大学に入ってから、高校でやっていた実験の内容が大学レベルだったことを知り、逆に今は当時苦しんだ経験がすごく役に立っています。

いま振り返ると、庄村君にとって志木高とはどのような学校だったと思いますか?

勉強したいと思う人は、自分から積極的にやらなきゃいけない学校ですね。自分から行動を起こさずダラダラ過ごそうと思えば、それも可能な雰囲気ではあるんですが、それじゃ何も残らない。そういう意味で、僕は志木高の3年間を通じて、自主性が高まったと思います。高大連携講座を進んで受講したのも、その一つの表れだと思います。

とはいっても、僕が高校時代に最善の時間の使い方ができていたかというと、そうでもなくて、正直なところ、英語はもうちょっと勉強しておけばよかったかな。三義先生が授業中におっしゃった言葉で、「大学に入ったら思いっきり遊べ!その代わり、思いっきり勉強しろ!」という言葉がありました。今、僕はそれを目指してるんですが、これは高校生にも当てはまりますね。

shomura05.jpgなるほど。シンプルだけど、いい言葉ですね。勉強や資格試験や、様々な方面に対して積極的に取り組んできた庄村君ですが、やはり原動力になっているのは「自主性」ですか?

いや、そこに関しては、仲間の存在が大きかったと思います。先ほど高大連携講座のところでも話をしましたが、卓球部の同期がたまたまみんな理系で、成績もよく、知的好奇心旺盛だったので、ただ仲がいいというだけじゃなく、日常的にあらゆる面で刺激を与え合う関係でした。「あいつらには負けたくない!」という、いい意味でのライバル心もありましたね。

これは卒業してから顧問の先生に言われたことなんですが、「レポートを書きますから」と言って部活を堂々と休んだ部員は、卓球部の歴史の中でも僕たちぐらいだったそうです。普通は休みたくても休めない、だからこそみんな、「いかに学業と部活を両立させるか」で悩むのに、僕たちはあっさり休んでしまう(笑)。勉強好きがたまたま5人集まり、成績を競い合ったりもしていましたから、部活より学業を優先することに後ろめたさがなかったんですね。

そういう存在が身近にいたことは高校時代を振り返った時に、とても大きなことだったと思います。しかも、そのうちの3人が、これまた偶然なんですが、理工学部、しかも同じ学門3に進んだので、彼らとは今でも協力し合って勉強しています。大学に入ってから出来た友達とは絆の強さが違うというか、本当に志木高で得た友人は一生の財産だと思います。

将来の夢は?

まだ具体的なものはないですね。今、興味があるのは化学なので、研究職・・・とかですかね?

え?せっかく難関試験をパスして資格を手にしたのに、気象予報士にはならないの?

考えてないです。現実問題として、就職先が少ないということもありますが・・・。

そういうところが庄村君の面白いところですね。文系の科目に興味があり、得意でもあり、センスもあるのに、理工学部へ進学。また、ものすごく難しい試験を突破して気象予報士の資格を取ったのに、そちらの道には進まないと言う。非凡な才能があってこそできることだと思うけれど、人生の早い段階から何か一つに凝り固まってしまうより、そうやって好奇心の赴くまま、幅広い分野に自分を開いていこうというチャレンジ精神は、若いうちにぜひ持ってもらいたい姿勢だと思います。これからの活躍を期待しています。

所属・学年は2014年12月現在

 

 

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