石川洵哉君(2008年3月卒)

今回は、インタビューをお読みいただく前に、1通のメールをご紹介させていただきます。それは、2014年11月に卒業生の石川洵哉君から、彼が高校2年の時に担任だった宮橋先生宛に送られたメールです。
そこには石川君がメールを送る前月に、久しぶりに訪れた収穫祭でのかつての担任との再会の中で、伝え切れなかった思いがあふれていました。

来年志木高入学から10年を迎えるにあたり、OBとして、現役志木高生に伝えたいことがございます。
もし機会がございましたら、OBの戯言として在校生の方々にお伝えいただければ幸甚に存じます。

志木高の友達を大事にしましょう。
「志木高時代の友人は人生の宝である」と断言できます。
同級生と会った時、必ず出てくる言葉があります。
「志木高のヤツらはド変人でド変態、でも一番信頼できるよな。」

志木高には、ちょっと変わった人が多いと思います。
よく言えば「個性的」、悪く言えば「変人」。でも頭が良くて信頼できる男。
それが志木高生だと思います。カッコいいじゃないですか。
確かに男子校はむさ苦しいです。
しかしながら、利害関係も表裏もない男臭さは、貴重な経験だったと思います。

授業中は居眠りやスマホいじりはやめて、授業に集中しましょう。
私も、志木高生時代、よく居眠りをしていました。
授業中に、いわゆる"内職"をしていた友人もいました。

確かに、志木高の授業は、かなり変っています。
延々と校庭のタンポポを数えたり、研修旅行で化石探しをしたり・・・・・・(笑)
一見すると、「なぜこんなことをやらされているのかわからない」といった授業もあります。

しかし、わからないからと言って、他のことをして時間をつぶすのはもったいない。
マニアックな授業は、志木高でなければ一生知り得なかったことを学ぶチャンスです。
先生方は、生徒一人ひとりの個性を尊重し、真摯に向き合ってくださいます。
先生を、この学校の教育方針を、心から信頼し、多くのことを学んでください。

読書をしましょう。
多くのことを学べます。
社会人でもデキる男は読書家で勉強熱心です。
本には人生を左右する力があり、強く・正しく・楽しく生きるための強力な武器になると私は思います。

学部は自分で責任をもって決めましょう。
私は商学部に進学しました。
周囲に、「バカ商」とか「慶應だったら華の経済だろ」とか色々言われましたが、
本気で学問と向き合うことで、実り多き大学時代を送ることが出来ました。
文系のことしか分かりませんが、学部程度で就職に影響することはないので
(逆に言えば、出身学部でどうにかなるほど社会は甘くないので)、
自分が学びたいことを学べば良いと思います。
何事も追究すれば、見えてくるものがあるのではないでしょうか。
そう考え、私自身模索中です。

心身の健康維持を第一に考えましょう。
若ければ、何でも許される訳ではありません。
私は今25歳ですが、過労等で一度身体を壊しました。
身を持って、セルフマネジメントの重要性を認識しました。
一生で最も一緒にいるのは"自分自身"なので、自分を大事にしてあげてください。

このメールをきっかけに、今回のインタビューは企画されました。
石川君が本当に後輩たちに伝えたかったこととは?その動機とは?
自己紹介を兼ねて、石川君が今どんなお仕事をされているか教えてもらえますか。

ishikawa01.jpg私は2008年に志木高を卒業して商学部に進学し、大学時代は八代充史研究会に所属して、人事労務管理や労働経済学などを研究しました。2012年の大学卒業を機に、都内にある資産運用会社に新卒で就職し、営業企画、金融商品企画などを担当して今年で3年目になります。

この業種に就職した理由は、当時の時代背景と密接にかかわりがあります。私が就職活動をしていた2010年の夏から2011年の初夏にかけては、円高や自然災害の影響もあり、日本経済は停滞期でした。また、「人口減少元年」とも言われ、少子高齢社会が机上の予測から現実の問題となった時期でもありました。そのような状況の中、私は「天然資源に乏しく、人口減少に苦しむ日本において、1,600兆円を超える個人金融資産は経済成長のためのガソリンである。個人の自助努力による資産形成の時代がもうそこまで来ている」と感じました。そこで、停滞している経済のエンジン部分に携わる資産運用会社で、時代の変化の一端を担えたらいいな、と思って就職を決めました。実際、今年になって少額投資非課税制度(NISA)が開始されたり、確定拠出年金制度(DC)が大きく変わってくるなど、いくつか変化の兆しが見えており、3年前の私の直感は当たっていたと思う今日この頃です。

高校進学時に、なぜ志木高を選んだのですか。特に石川君は東京都町田市在住ですので、かなり遠距離通学だったと思うのですが?

実は、私は志木高が第一志望ではありませんでした。「他の第一志望の高校に不合格だったから」という消極的な理由でここに来たわけですが、しかし、同じ慶應義塾の一貫教育校でありながら、家から30分の日吉ではなく、通学に片道2時間かかる志木高を選んだのは、僕なりのプライドというか、積極的な選択でした。

高校を選ぶ際に、遠い近いはあまり関係ないと思うんです。通勤ラッシュ時間の小田急線に乗り、混雑した車両でサラリーマンと一緒に毎日揉まれていると、その中から感じること、考えることがあり、そういう時間も無駄ではないかな、と。文字通り、社会を支えている人々を肌で感じました。もちろん読書もたくさんしましたし、車内が空いている時ならばノートパソコンを広げてレポートを書いたりもしました。勉強、読書、思索、社会観察・・・有意義な通学時間でしたよ。

今回のメール、大変興味深く読ませてもらいました。今日はぜひ石川君の肉声で大いに語っていただこうと思ってお招きしたわけですが、たとえば「友達を大切にしましょう」なんていうのは、こういう言い方をすると失礼だけど、いまさら言うほどのことでもないですよね?このメッセージに込めた想いとは?

ishikawa04.jpg高校時代の私は、成績優秀でもなかったし、授業態度や生活面などを振り返っても、決して褒められるような生徒ではありませんでした。むしろ、いろいろと問題を抱えていたと思います。それが影響して体調を崩すこともよくあり、校内でいきなり倒れて友達や先生方にご心配をかけたこともありました。しかし、こんな私が、無事に単位を取って志木高を卒業でき、商学部に進学できたのは、友人のお陰だと思っています。

あの頃の私は、友達に何もかも助けてもらっていました。精神的にも、勉強の面でも、いろんな意味で。それができたのは、友人を徹底的に信頼し、頼れる環境があったからです。共学だと、異性の目を気にしてやっぱり格好つけちゃう部分があると思うんですよ。自分を偽り、キャラクターを作ってしまうと言ったらいいのかな。ところが、男子校だとそういうことは一切ありません。みんな、素のままで向き合ってくれる。たとえば、ファッションに興味があって、こだわりの服で通学してくる子もいましたが、それは女の子にモテたいとか、他人からよく見られたいという欲望ではなくて、一つの生き方、自己表現の手段としてそれを実践していた気がします。そういう中にいると、"友達"というより"家族"みたいな感じに近く、空気のような存在になってしまうんです。これはなかなかないことです。大学でもなかったし、まして就職してからは難しい。高校時代にしか築けない友人関係を大事にしてほしいと思います。

では、授業に関してはどうですか?

ishikawa03.jpgこれはまさにメールに書いたとおりで、本当に志木高の授業は特殊なものが多い。2年生の生物の授業で出された課題は、セイヨウタンポポとカントウタンポポの生息分布を調べるために、ひたすら校内のタンポポを数えるというものでした。始めは、「俺たち、なんでこんなことやらされているんだ?」と思うわけですよ。でも、その意味は後でわかります。

あるいは、私が在学していた頃の日本史の授業では、縄文時代のどんぐりの研究に1年の大半が割かれていました。年度の終わり頃になって、ようやく平安時代にたどり着く(笑)。しかし、教科書に書かれていることをなぞるだけの「ノルマを消化する」だけの授業では決して得られないことを学びました。教科書に載っていることが本当に知りたいことなのであれば、それは自宅で読めばいいし、卒業してからゆっくり読んでもいいんです。授業という「ライブ」の場でしか学べないことがある。だからこそ、授業は集中して聞け、と言いたいですね。

読書についてはどうですか?長距離通学のおかげで、石川君はずいぶん多くの本を読んだらしいですけど。
少し話が飛びますが、私は就職活動で提出したエントリーシートで、自分が大切にしていること、自分なりの生き方の指針を提示しました。このエントリーシートは20歳の時に書いたものですが、今も根本的な考え方は変わっていません。それを私は「石川洵哉流自我作古の精神」と名付けているのですが、どういう内容かというと、「困難な環境の中でも妥協せず果敢に挑戦することによって、最高の、本質的な価値が創造できる」というものです。もっと平易な言葉で表現すると、「泥臭く青臭い生き方をしていると、稀に、何故か、誰かが明るい方向に導いてくれる」ということになります。
私はこの思想を、中学・高校時代に最も影響を受けた作家の一人、太宰治から学びました。ここで太宰治著『パンドラの匣』からの一節をご紹介しましょう。
人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。(中略)それはまるで植物の蔓が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。(太宰治『パンドラの匣』)

ここに出てくる「天然の向日性」というのは、人間の本能みたいなものだと私は思うんですよ。これを読んだとき、私はゾクッとしましたね。「ああ、絶望することさえもありえないのか!」と思ってね。そう考えると、人間には完全な挫折とか失敗って、きっとないんですよ。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』にも似ていますが、一縷の糸にすがるように、人間はどんな過酷な状態に追い込まれても、その中から希望を見出そうとするものなのでしょうね。

こういう人生の大きな指針を決めるような本と出逢えたのも、日頃からいろんな本を読んでいたからだと思います。一度読んで興味をそそられなかった本が、しばらく経って読み直したらとても面白かったり、またその逆もあって、本とは広く長くつきあっていくことをお勧めします。

学部選択についてはどうですか?商学部を志望したきっかけは?

ishikawa05.jpg正直な話、あまりよく覚えていないんです。進路希望調査を提出する直前に、急に進路変更をしたことは覚えているんですが、それが何故だったのか・・・?本音を言うと、どの学部でもよかったんです。漠然とですが、お金のことに興味があったのかもしれないし、その頃、たまたま「会社のことが知りたい」と思ったから変更したのかもしれません。

世間を含め、周囲の人からは商学部を貶めるような発言をされることがあります。偏差値だけに目を向ければ、経済学部に行かれなかったおちこぼれが行く学部だという偏見があるのでしょう。しかし、私はそんな声はまったく気にならなかったし、実際、大学の4年間を通じて一番印象に残っている授業は、1、2年生のときに履修した「物理」と「ジェンダー論」でした。これらの科目は、一般教養科目ですから、どの学部に所属していても受けられます。進学先を「どの学部でもいい」と思った私は、意外と間違ってなかったと思います。

高校時代に友達同士でよく話されている「どの学部が就職に有利か」などという情報も、根も葉もないことですし。経済予測と同じで、誰も将来のことはわかりませんよ。だったら、今学びたいと強く思うものを学んだほうがいい。見えない将来について思い悩むより、過去を分析し、今を見つめて、現在やりたいことをやる、学部選択って、そういう風に考えて取り組んじゃだめなんですか?(笑)

では、最後に、健康管理についてはどのようなアドバイスがありますか?

ishikawa02.jpg健康管理、これ、すごく大事です!運動、食事、睡眠という基本的なことが規則正しくできていればいいんですけど、できそうでできないんですよね。私も高校時代はできていませんでした(笑)。今でこそこんな偉そうに言っていますが、私も高校時代は実に不規則な生活をしていて、担任の宮橋先生にも、顔を合わせるたびに「おい、寝てるか?」って聞かれるようなありさまでした。そんな調子だから、学校行事や定期試験など、大事な日、「ここぞ!」という時に限って、体調不良で欠席していました。この悪癖はつい最近まで直らなかったんですが、先日ちょっと大きな病気をしまして、それをきっかけに改めて健康の大切さが身に滲みました。

そういうわけで、自分の反省を踏まえて言いますと、現役高校生にはとにかく睡眠をきちんととるように心がけてほしい。運動は体育の授業があるので、まったくやらないでいることのほうがむしろ難しい。食事も、高校生だからお酒は飲まないし、代謝がいいので少しくらい食べ過ぎても身体を壊すことはありません。一番、おろそかになりがちなのは、睡眠です。人によって必要とする睡眠時間は違うので、何時に寝て何時に起きればいいかということは一概に言えませんけれども、規則正しい生活のためには、毎日起きる時間を一定にしたほうがいいそうです。

現役志木高生のみなさんが、あるいは、未来の志木高生が、健康な身体で悔いのない高校生活を送れることを祈っています。

所属・学年は2015年3月現在

 

 

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