萩原悠太君(2014年3月卒/法学部2年)

萩原くんは、志木高時代の多方面での活躍が評価され、2014年度の慶應義塾大学入学式で新入生代表の宣誓という大役を果たしました。そのときの会場でのエピソードや今も心に残っている宣誓の言葉を教えてください。

はい。やっぱり緊張しましたが、楽しかったですね。志木高の名に恥じないスピーチをしようと思って意気込んでいたんですが、いざ「新入生代表、萩原悠太くん」と呼ばれて、吹奏楽部のファンファーレを聞きながら舞台へ上るとドキドキしました。というのも、今まで塾長や来賓の方々から言葉をいただくだけの立場だったのが、ひっくり返って会場を見渡すと、何千という人がこっちを見ていて。でもやるしかないと思ったら、緊張よりも自分を奮い立たせる快感のほうが勝って、意外と冷静にスラスラ言葉が出てきました。

大学生になると、一気に自分の世界が広がると思います。高校では自分に近しいコミュニティーのことしか考えなかったかもしれないけども、これからは、世界でいま何が問題とされ、自分に何ができるのかを考える必要があると話しました。視野を広く、自ら問題を発見して、みんなで解決していく方法を探るというのは、今も行動の指針になっています。

志木高時代の3年間で多くのことを吸収していった萩原くんらしい、今につながる宣誓だったと思います。
ところで萩原くんは、いろんな受験方法がある中で、第一志望者しか受けることができない自己推薦入試を用いてこの慶應志木高校に入ってきました。まず、なぜ数ある高校の中から志木高を選んだのか、また、なぜ推薦入試という方法を選んだのか。中学校時代のことも含めて教えてください。

まず、僕は男子校にすごく憧れがあったからです。家族が男女別学の高校の出身で、その3年間が貴重な時間だったと話していたので、僕もじゃあ高校はまず男子校で過ごしてみたいなと。それと、僕は小学生のときに劇団四季の『ライオンキング』に子役として出演していた時期がありまして、その経験からです。

その子役を卒業する中学1年生のとき、大人の役者さんに「君は将来何になりたい?」って聞かれて、僕は「また舞台役者になって、劇団四季に戻ってきたいです」って答えたんです。でもその先輩は、「それもすごくいいことだけど、何も役者だけを目指さなくてもいい。これからの人生、多くの場所に行って、色々な勉強をして、たくさん友達と会うのが大事だ。そしてまたやりたくなったら役者になって戻ってくればいい。その経験があなたを味のある役者にしてくれるから」と言ってくださいました。

それを聞いて、舞台とかダンスを専門に学ぶところではなくて、高校の3年間自由なことができ、個性を持った男の子たちと一緒に切磋琢磨し合える、ここを選びました。

推薦入試で、「これだけはアピールしたいこと」はありましたか?

そうですね、僕は、中学生のときバスケ部の部長をやっていたんですけれども、なかなか最初はチームをまとめられず、苦労したんですよね。バスケ部に集まったみんなは自分が一番だっていうプライドも高かったですから、どうやって個人プレーに偏らせずにチームとして機能させていくかというのに悩んでいました。それをやっていく中で、部長が厳しい言葉で統制するよりも、みんなを褒めて盛り上げるようにしたほうが、楽しくプレーできるんだと気付きました。それと、いかに適材適所で力を発揮させるかということや、リーダーは聞き上手になって、チームの雰囲気を見ながらやっていかなきゃいけないんだなということも学びました。

今振り返ってみて、授業などで心に残っていることがあれば教えてください。

僕は国語が好きだったので、国語三昧の3年間を過ごせたのがすごく楽しかったです。この志木高では1・2年生から特殊な授業が展開されていて、3年生ではカリキュラムを自分で組み立てられる枠もありますよね。そこで国語の科目を計三つ取ったのかな。中学校までは教科書をなぞったような授業しかやっていなかったのが、ここの授業は、自分で考える、自分で創作する、自分で批評してみる、という点に重点が置かれていて面白かったです。

例えば、3年生の日本語各論では一年間九州の文学作品だけを読んで、10月の見学旅行で九州の隠れキリシタン関連の場所などを回り、最終的にオリジナルの文学地図を作成しました。国語特殊講義では自分で研究テーマを定めて、童謡の歌詞に出てくるオノマトペについて考察したり、コントの会話の中に潜む相槌や間、語調といった発話の構成要素を分析したりしました。思うように書けないことがたくさんあったんですけれども、志木高の授業でかなり鍛えられた感じがします。

中でも芥川龍之介の『切支丹物』を勉強していたときが、一番発見が多かった気がしますね。小説という媒体って、エンターテイメントに徹することも芸術に徹することもできますけども、僕は、人間の汚い内面を描く小説にはあまり触れてこなかったんですよ。だけど、『切支丹物』では、神を信じ続けるキリシタンたちの苦難や葛藤、それを弾圧する指導者たちの背徳といったものに深く切り込んでいっているところが僕にはとても新鮮でした。

今度は行事について。収穫祭(本校の文化祭)で心に残っている出来事はありますか。

収穫祭で一番心に残っているのは、ワグネル・ソサィエティー(男声合唱部)の同期と一緒にやったパフォーマンスです。そのときの団体名が、「劇団志木」という名前で。アイデアを1から作り、どんなストーリーや構成がいいか、何を歌おうか、みんなで話し合いながら決めていきました。教室を本物の小劇場に見せたかったので、場内BGMや照明にこだわり、階段状の客席にして全てのお客さんがステージとつながれるよう工夫して作りました。結果、歌あり、動きあり、笑いありの30分間で、お客さまに時間を忘れて楽しんでいただこうというパフォーマンスにしました。

1・2年生のときは、先輩と僕のコントをメインに「劇団志木」としてやっていたんですけれども、最後の年は、ワグネルに集まったいろんな才能を活かしたいと思って、3年生全員で舞台に乗るのを絶対条件に作っていきました。

部活で男声合唱を選んだきっかけと、活動の様子を教えてください。

そうですね、男声合唱に惹かれたのは、実は入学式の塾歌指導を合唱部の先輩たちがしてくださったときなんですよね。もともと歌はすごく好きだったのですが、スポーツも好きだったのでバスケ部とかラグビー部も憧れでした。いろいろ考えていたんですけど、入学式の塾歌に圧倒されて、これじゃないかと思っちゃったんですよね。

下級生の頃は、とにかく歌が上手くなりたい、先輩のようになりたい、誰にも負けたくないという気持ちがすごくあったんですが、キャプテンになって全体を見渡す立場になると、合唱って一人じゃできないんだなということを痛感しました。

それからはみんなでいい歌を歌うために、歌の練習だけではなくて普段のコミュニケーションの取り方や、どう心と心の距離を近くしていったらいいのかを考えながらやっていましたね。

3年生の最後に卒業コンサートを大きな会場でやったと思うんですけど、あのときにこみ上げた気持ちなどについて教えてください。

ああ、本当にあのときは達成感でいっぱいでしたね。この3年間で、いろんな人にご指導いただき、多くの人に助けていただいたので、その感謝の気持ちを歌で表現したいと思って、自分のためにではなくて、人のために歌いたい、という気持ちで舞台に乗りました。その結果、今までで一番楽しく歌えましたね。信頼している仲間が横に居てくれて、その仲間と一緒に感謝を歌い上げたというのは、僕の中ですごく思い出に残っています。

萩原くんは高校時代、学外でダンスやよさこいを習っていました。きっかけや、そこで得られたものを教えてください。

僕は学業と部活を両立させつつ、あいた時間、あいた曜日を使って、歌以外にも舞台の表現につながることをしたかったんです。

そこで高校の近くのダンススタジオに通うことにしました。はじめは、ジャズダンスという、いわゆるテーマパークのダンサーがやっているような踊りをやっていたんです。だけど、あるときコンテンポラリーダンスをやってる先生に出会って、伸びやかで、自然体な魅力に、なんか、ちょっと取りつかれちゃったんですよね。

その先生は、呼吸に任せて、何かに自分を委ねているように踊れるんです。僕が真似しようとしてみても、全然そんなふうにいかなくて、力んだ固い踊りになってしまうんですよね。僕の持ってるものと全然違うダンスだなと思いました。それからはコンテンポラリーを軸に据えて取り組んでいます。

ではここで進路について。萩原くんは最終的に法学部政治学科を選びました。それはどんな理由からですか。

大学に入っても専門をあまり決めずに、広く見聞を集めたいという気持ちがあったからです。法学部政治学科は、政治を中心に学ぶんですけども、ゼネラリストの養成をコンセプトに掲げている学科ですから、様々な勉強ができると思いここを選びました。それと、中学のバスケ部の部長や、高校のワグネルのキャプテンという経験を通して、上に立つ人がどんなふうにみんなを動かしていくのかというのは、政治と共通するところがあるなと思って、学んでみたいと。

現在、どんな活動に力を入れていますか。

今は、いろんな舞台に積極的に出演することに力を入れています。高校生の頃は合唱部という拠点があったのでそこから大きく外れることはあまりなかったんですけども、大学ではサークルに所属していないので、拠点をある意味持っていない状態なんです。フリーとして、どんな環境にも顔を出して、舞台に出演するなり、演出助手と言う形で手伝いをさせてもらうなりしています。

目標としては、まず、とにかく面白い舞台を作りたい、面白い舞台を作る人と一緒に居たい、というのがすごくあります。ひいては、お客さんに喜んでもらいたいですね。なかなか、思うとおりにいかないことも多いんです。良いものを作りたいと思ってるんだけども、みんなの気持ちが一つにならないとか、お金の都合上制約が多くなってしまうだとか。でも、どういう工夫をすれば満足のいくものが作れるか、せめぎ合っています。

僕は、歌とか踊りというのは、自分の体から直接発せられるものだと思うんですよね。例えば、絵ならキャンパスに絵の具で描くわけですし、文章だったら言葉に自分の思いを託すわけですけども、歌は自分の体が楽器ですし、踊りは自分の体そのものが動きとなって見せものになっていくわけですから。

僕がそうしたものに魅力を感じるのは、嘘がつけない表現だと思うからです。何かこう、心で別のことを考えていて、それを隠しながら踊るというのは多分できないことだと思うんです。心の中で考えていることがそのまま体や声に表れるからこそ、見ている方の心にも感動が直に届くんじゃないかという可能性を感じています。なので、僕は踊りなり歌なり、体から直接表れるもので勝負したいと思っています。

嘘をつけないと強く思えたパフォーマンスって、例えば何でしたか。

志木高の収穫祭で発表した、3年生のときの「劇団志木」ですね。あのときのステージ・パフォーマンスは、まさにこれだなって僕が思っているものの一つです。

そのとき、実は結構制作がギリギリで、不安を抱えて本番を迎えました。結果的にはその30分間、お客さまに楽しんでいただけたので、僕もほっとしました。

そのとき、舞台というのは、お客さんと近くて反応がダイレクトに分かるシビアな所なんだと、ここは生身で勝負する所なんだなと感じました。

舞台活動以外で、大学入学後に興味を持ったことがあれば教えてください。

今年から、キャリア大学というNPO法人の学生運営部に参加しています。

サマークラスといって、この法人が提携するたくさんの企業に、夏にセミナーを開いてもらうんですけど、この運営をお手伝いしています。大学を問わずいろんな学生がワークショップに参加して、自分に合った雰囲気だとか職種だとかというのを考えていくことができます。

また、学生運営部に集まる人に、ビジネス的な思考法を学んでもらおうというのも一つのコンセプトです。例えば、昨日あったミーティングでは、大学生活を送っていて不満に感じることをどうやったら解決できるだろうか、どういった商品があったら解決できるか考えてみようというワークショップをやったんですね。それが、普段やらない頭の使い方をしたので大変だったんですけども、勉強になりました。

実は、その学生運営部をまとめているのは、この慶應志木高校出身の、現在法学部政治学科の3年生の方なんです。彼に初めて会ったときには、まさか慶應志木の先輩だとは知らなかったんですけども、ご自分の明確なビジョンと全体の論理がしっかり見えている方で、すごく話しやすかったんですよね。彼は、大学生活をより良くするためのウェブサービスをご自身で立ち上げていて、起業も実際に考えているらしいんです。そんな先輩には見習うべき点が多いなと思っています。

最後にアドバイス、メッセージをお願いします。まずは、後輩である、在学中の志木高生たちに。

志木高の3年間は、本当に、好きなことに打ち込める、もしくはやりたいことを探せる貴重な時間だと思います。この3年間で得たものは、大学生になっても、それ以降にもきっと自分の糧になっていきます。いろんな不安や悩みはあると思うけども、いつでも前向きに打ち込めるものを探して追求していってほしいなと思います。

現在、慶應志木高校を志望している中学生に対してお願いします。

この志木高は、生徒と先生の距離が近くて、アットホームな雰囲気が魅力です。生徒も広いキャンパスの中で伸び伸びと過ごすことができ、でも、一人ひとりが孤立するのではなくて、ちゃんとつながっています。信頼できる友達や、何かやりたいことができたときに、それを一緒に実現してくれる仲間がここでできる。そうしたことを望むなら、絶対(笑)、志木高をお勧めします。

ちょっと高校の外に目を向けると、例えば一生懸命やることって恥ずかしいとか、本気出すのって怖いっていう観念が少しあると思うんですよね。だけど、この志木高では、飾らずに自分のやりたいことを表現できるし、そのやりたいことにいくら打ち込んでも全然オッケーな雰囲気があります。志木高のみんなは、いい意味で単純なんですよね。やりたいことに素直。

だから自分もいろんな活動ができたし、仲間と一緒に切磋琢磨していくこともできました。これが志木高のいいところだと思います。

所属学部・学年は2015年10月現在

 

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