丸山剛典君(2020年3月卒/総合政策学部)

 今回は、志木高在学中に英国パブリックスクール Winchester Collegeに留学し、現在、総合政策学部(SFC)に在学中の丸山剛典君に対話形式でインタビューを行いました。丸山君が大事にしてきたアートと建築を、志木高、留学、SFC、将来とそれぞれの時間軸で存分に語ってもらいました。インタビュアーは、樋口、小澤、森山(本校教員)が担当しました。

志木高の授業

樋口 丸山君が進学先として慶應志木高校を選んだきっかけはなんですか?

丸山 最初に意識したのは、単純に家が近いっていうことだったんです。志木市に住んでるので。

樋口 入学してみて、どうでしたか。

丸山 1年の頃だと、国語科の中地さんのジブリ作品を扱った授業、あれはすごい面白かったですね。いきなり精神分析や哲学の用語がどんどん出てきて、最初はクラスで、「何言ってんのかよく分かんないね」みたいな感じで、みんなで議論し合って。あれは一体なんだったんだっていう反応になってたんですけれども、やっぱり身近にあった映画のアニメ作品をそこまで複雑に解釈できるんだっていうので、すごい衝撃を受けた覚えがあります。最初に扱ってたのは確か『崖の上のポニョ』だったと思いますね。

小澤 中地さんがアイデアや解釈を披露して、それに刺激を受けて生徒たち自身も考え始めて「言葉と文化」が伝播していく感じなんですね。

丸山 そうですね。若干ペダンチックな(学をひけらかす)でかい言葉を使いたがるようなそういう年代でもあったと思うので、そこにもうまく当てはまって。みんなですごい好き勝手にいろいろ言ったりしてました。あとは前北さんの授業で、1年間通して百人一首を1首ずつ解説するのは、特徴的でしたね。全百首、1時間に2首ずつ、じっくりと。

小澤 今も覚えてたりしますか。

丸山 時々、何かのきっかけでふと思い出します。あんまり意識して覚え続けようとしてたわけじゃないんですけれども、全部すらすら出てきたりすることもあって、知らないうちに定着してるなって。富士山を詠んだ歌。それが実物を見たときに、ふと出てきたりします。風景が多いかもしれない。電車に乗ってぼうっとしてるときに、なんかあったなって。

小澤 歌が降りてくる感じなんですね。では、課外活動で印象に残っていることはありますか?

丸山 留学前の課外活動だと、当時は休部になってた美術部を、自分が個人的に絵を描いてみたいなっていうのがあって復活させてもらったことです。山内さん(彫刻を専門とする本校美術教諭)に最初お願いして、その後山田さん(絵画を専門とする本校美術教諭)にも入っていただいて。山内さん、芸大の彫刻科の出身だったと思うんですけど、最初に石こうデッサンをやって絵の描き方を覚える時に、いろいろ的確に指導してくださって、すごい学びがあったなと思いますね、そこでも。

森山 随分前からアートを意識していて、それが課外活動につながったのでしょうか。

丸山 中学校の頃から絵を描ける人に憧れみたいのはあったんですけど、あんまり機会がなくて。それで高校に入って、やってみたいなと思ってたのが、もともとあって。

森山 当時、将来はアートを軸に仕事をしたいと言っていたと思いますが、いつ頃からそういったイメージを持っていたのでしょうか?

丸山 知らないうちにできたような気はするんですけど、でも志木高に入ってからな気がしますね、そこまで考えるようになったのは。

森山 なんとなく将来はこうなるというのをわかっているっていう状態だったのでしょうか?

丸山 1年生の頃の国語の授業とか、文系やアート系、そっちのほうになんとなく惹かれることが多分多かったのは自分でも意識してたと思います。それで多分厳密に数学を使う世界よりは、そっちにいくんだろうなって。

森山 留学先でも、かなり真剣にアートに取り組んだのですね。日本でやってきたことがいきたのか、それとも行く前に意識してたものとは、全く別物だったのか、どうだったのでしょうか?

丸山 やっぱり美術部を復活させてもらって教えていただいたことは、随分役に立っていて。当時は本当に初心者でしたけど、留学したらむしろちょっと「絵うまいね」って言われるぐらいになってたりして。直接的に技術として役立ったところもあります。ただ向こうに行って、どっちかというと抽象画みたいな、写実よりは風景を自分なりに解釈して主観的に心象風景を描き出す、そういった方向になっていったときに、そこからさらに発展しなければいけないところはありました。

縦書きと横書き

森山 日本に関することをいろいろと聞かれましたか?

丸山 そうですね。アートの授業の時に聞かれて印象に残ってるのが、「日本語は英語と違って右から書くそうだけど、それで絵の描き方に影響はあるのか」と、言われたことですね。

森山 それは面白い質問ですね。

丸山 自分でも正直全然考えたことがなかったのに、むしろそうやって外国の人から言われると、はっとするみたいなことって確かにありますね。

森山 普段意識していないことについては考えないですよね。答えはでましたか?

丸山 いや、もう正直全然思いつかなくて。そういえばそうですねぐらいで。

小澤 今の生徒たちが縦で書くのって、もう国語の授業の時ぐらいしかないかもですね。

丸山 確かにそうですよね。

小澤 むしろ「型」として、国語の時間だけはその文化がぎりぎり残ってるからちょっと頑張ってみようみたいな。あとはスマホにしてもレポートにしても基本横書きになってるから、グローバリズムが進んでる中で最後の領域かもしれない。
 でも、縦書きの気持ち良さっていうのは楽しんでほしいなって気がしますね。垂直に意味が下りていく感覚。描いててそれこそ筆のストロークというか。縦の動きが気持ちいいとか、でもやっぱりこうだろうとかないですか、絵を描いていて。

丸山 確かにそうです。留学先で描いた抽象画で、風景をカメラを動かしながらちょっとぼかして撮ったように描ける、流して描くみたいなのをやったことあるんです。それで横向きのやつと縦向きのやつと両方違う風景でやったんですけど、確かに縦のやつになんとなくお気に入りになったのってありましたね。

小澤 今だと中国語も縦書きから横書きとかになってて、縦書き自体がどんどん天然記念物みたいになってる感じありますよね。社会の先生も板書は基本は横書きですしね。

丸山 中国語の授業を大学で取ってましたけど全部横書きで教わりましたね。
 縦書きでレポート書いたのは、それこそ志木高の「欅」掲載レポートが最後かもしれない。それで縦書きしなきゃいけなかった時に、Wordで縦書きってどうやるんだっけって調べた気がします。

森山 他にも日本人が普段はあまり意識しないことに関する質問や面白い質問はありましたか?

丸山 漫画とかアニメとかのことはいろいろ言われたりはしました。
 ただ正直、全体の印象としては、結構日本とアメリカの違いとか日本となんとかの違いとかっていうことを聞きますけど、それよりは、基本的な考え方ってみんな同じだなっていう、そっちのほうが印象としては強かった気がします。
 外国の人は陽気だとかなんとなく印象はありますけど、でもその中には寮で自室に引きこもって音楽ばっか聴いてる人もいたりして、むしろどこに行っても人間ってだいたい同じだなっていうほうが、強かった気がしますね。

森山 そうすると、例えば将来仕事するときでも日本でも海外でも同じだろうというような雰囲気になってきましたか?

丸山 なんとなく、そういう感じはありますね。SFCは結構海外からの留学生も多いですし、もうあんまり気にならないですね。

SFCとの出会い

森山 SFCでは、何の解決を目指して、どのような研究をしているのでしょうか?

丸山 今は、まだはっきりとしたテーマを持って研究してるほどではないんです。ただ僕が今やりたいなと思ってるのは、建築のデザインをこれまで大学で2年間ぐらい勉強してきたのですが、それだけじゃなくて。
 今学期「不動産デザイン」という授業がSFCにあって、それが建築とあとはビジネス的なのを掛け合わせて提案をしようっていう授業で、すごい面白い。
 僕、最初は経済学部に行こうとしたりとか、イギリスでもとりあえず起業したいって言って留学したりとか、ビジネスにもともと興味を持っていて。あと、建築でもどっちかというと技術的なところを勉強してきたので、それを掛け合わせてなんかできたらいいなっていう方向性は持ってます。

小澤 留学して帰ってきて、いつぐらいからSFCに行きたいと思ってたんですか。

丸山 SFCに行こうとしたのは帰ってきた後、数カ月ぐらいしてからですかね。
 建築面白そうだなと思ってましたけど、そもそも慶應って建築学科はないですから、建築ってできないのかなぐらいに思ってたので。SFCで意外とできるんだって気付いたのは本当に進路表を出す何カ月前かくらいですね。

小澤 SFCを出て、建築関係で働いてる人も結構いらっしゃるんですか。

丸山 アトリエ系の事務所で働かれてるっていう方も聞きます。それなりにはいると思いますけど、最近建築学科を出て直接建築に関係のある仕事に就く人がどうも減ってきてるらしいっていうのはあって。
 特にSFCだとみんな多彩な技術を持ってる人が多いですから、必ずしも直接それで就職するって人はそんな多くないと思います。

森山 学んだ建築のセンスを、別の物にいかしていく感じでしょうか。

丸山 そうですね。これは建築の授業で、プリツカー賞(建築界のノーベル賞ともいわれる賞)も受賞されてる坂茂さんがSFCにいらっしゃるんですけど、建築は必ずしも建築の仕事をしなくても一般教養として勉強してもいいんだっていうことを授業で最初におっしゃってたのがすごい印象的でした。
 確かに建築って理工学的なところも必要ですし、でもちゃんと予算内に建てられるのかっていうようなことも考えなきゃいけないし、どういう人が来て何をするのか、マーケティング的な発想もいるし。
 最終的には、プレゼンにまとめて発表するという企画提案のプロセスを、全部自分一人でやらなきゃいけない。モデリングも含めると、パラメトリックデザイン (3次元設計手法のひとつ) とかプログラミングなど、本当にいろんな分野に結び付いてきて。将来、仕事で何か提案するときにも使えるようなスキルがだいたい身に付く気がして、本当に一般教養としてもすごい強いなと思います。

小澤 SFCは単年度でゼミを移動できたりするけど、3年生になって、どんな研究会に出入りしてきたんですか。

丸山 僕は1年生の秋学期に1回、建築よりもうちょっとスケールが大きい、まちづくりとかランドスケープ関係の研究会(石川初研究会)に1回入っていました。
 その後そこを抜けて、文系の建築と関係ない授業も実は並行してちょこちょこ取ってたので、その縁で精神分析のフロイトの理論をやっているところ(岡田暁宜研究会)があって、そこにちょっとお邪魔したりもして。結構いろんなとこに入りましたね、研究会は。

小澤 精神分析は、まさに中地さんを通じて高校1年の時に出会っていたのだけど、実際に大学で学んでみたら高校で出合ってた精神分析のイメージと大きく違ったり、つながったとかはありしました?

丸山 今教えてくださってる教授が臨床でやられてる精神科医の方なので、どっちかっていうと実際にあったケースを紹介してもらったりとかすることが多くて。
 中地さんに教わった精神分析は哲学寄りだったんですけど、今度は実践的な話なので、結構、両側面違うなっていうのはありました。そこで多分精神分析、最初フロイトが臨床の中から始めたように、だんだんラカン(フランスの精神分析学者)とか抽象的なほうになって哲学に持ち込まれたりとかして、その辺の流れって分かれてるっていうのを感じますね。

小澤 今そういうことを建築やマーケティングとか並行して学んでみて、自分の中でいろいろつながったことってあります?

丸山 どっちかっていうと、僕も最初はつなげようとしてた方向にはあったんです。けれどいろいろ考えていくと、それは直接的に知識とか技術としてつながるってよりは、なんとなく自分の中に深いところに両側面あって、それがお互いを支え合って存在してるなっていうような感じがしてきて。
 それを、むしろ別々に並行して行ったり来たりしながらやるべきなんじゃないかなっていうのはあるんです。僕はどっちかっていうと文系で、いわば陰キャみたいな感じで精神世界が好きなところもあれば、留学したり起業したりとかするような陽キャ的な側面もあって。その両側面が必ずしも交わらないけど両方支え合って、ある種分裂した状態のまま存在してるのかなっていうような感じに、最近気付いてきてます。

小澤 そうしたら、いろんな分裂を許容してくれる場所としてSFC的な在り方、いろんな研究会に出たり入ったりできるっていうのは、丸山君にすごく向いてる感じが今もしてる感じですね。

丸山 そうですね。メジャーとマイナーをやる。アメリカの大学みたいな感じに近いかもしれないですね。
 実際、研究会もAとBって2種類あって、Aが4単位、Bが2単位で、AとBセットでなら履修していいっていうルールになってまして、本当にメジャーとマイナーやっていいよみたいな感じだと思います。

小澤 じゃあ、友達でも同級生でも全然違うメジャーとマイナーの組み合わせをしてるやつが周りにたくさんいる感じなんですね。

丸山 そういう人も結構いますね。

建築とアート

丸山 建築やってる人で文化人類学の研究会に1回入ってたっていう人がいて、彼は建築の授業でも面白い提案してるんですけれども、それはもしかしたら結構シナジー(相乗効果)があるのかなっていうのを感じてますね。
 建築家でも、早稲田の吉阪隆正さんは、世界中でフィールドワークして民族のトーテムポールみたいなののデザインを集めたりしながら、それを建築に応用していて、結構相乗効果はありそうだなって思います。

小澤 誰か一人のお弟子さんじゃなくて、いろんな人に学んで、それを自分の中で編集して、自分だけの面白いもの作っていってる仲間がいるぞっていう感じなんですね。

丸山 もともと興味があった経済学的なところも、もう1回ちょっと戻ってみたいなっていうのとか。
 あとは最近建築の授業で理工学部にも実はちょこちょこ行っていて。久しぶりに微積をやらされたりとかして結構苦労はしてるんですけど、数理的にモデル化するのもすごい面白なと思っていて、そういったこともちょっと手を付けられたいいなっていうのはありますね。建築士の要件として必要だっていう事情もあるんですけど。
 文学部の授業もちょこちょこ去年の秋とか取ったりしてて。全体のうち60単位までは他学部でいいっていうことになっていて、結構いろいろ自由ですね、そこは。

森山 基本的には、建築とアートが根本にあるのですね。

丸山 そっちがメジャーですね。

森山 私は建築というと、デザインして物が建つような単純なイメージしかなくて。建築を通してどのような問題を解決してどういうふうに人をハッピーにしたいと思っているのでしょうか。

丸山 例えば、今はそれこそ不動産デザインの授業で教えてくださってる先生で、自分で頑張って土地を買ってビルを建てた先生がいるんですけど、その先生がやってたことは、自分で物件を持つことによって町に対して発言権が持てるようになるんだっていう、そういう理念の下で土地を買って、借金して建てたらしいんです。
 なので、僕の建築を通して、社会に対して何かしら発信力とか影響力みたいのを持てるようになりたいなと思います。自分でそれこそ物件を持ってたら、自分がいいなと思ったお店を、そこにちょっと安い家賃で入れてあげてサポートするとかもできますし。

小澤 ずっと志木市で育ってきたわけだけど、志木市をそうやってグランドデザインするとしたらどうですか。

丸山 志木高にこれだけ自然が、駅前に保たれてるのは特長だと思うんですけれども、これをもうちょっと豊かな使い方をしたいなっていうのはありますね。
 今周りにマンションがあって、最近は反対側のほうにもマンションが建ったりとか縦に積んでる感じがします。そんなに別に都心ってわけでもないですし、もうちょっと低層な感じで、それこそ「欅」の論文でもちょっと書きましたけど、縦に垂直にいくっていうよりはもうちょっと水平に展開する形で。

小澤 水平にっていうのは、人が住む建物のイメージや公共空間みたいなところですか。

丸山 そうですね。この緑がさらに例えば柳瀬川のほうにつながってくプロムナードがあるとか、そういうのはあってもいいなと思いますね。

小澤 高校の頃は、それこそ隈研吾さんの建築がすごく好きだって、そう分かるような発表を自由選択科目「SF.ファンタジー入門」でしてくれたりしてたけど、今はどうですか。

丸山 隈さんのことでいうと、授業の関連で来てた講師の方と話をしてさらに気付いたことあるんです。
 僕は「欅」の中で理念的なことばっかり多分書いてたんですけれども、彼は実際に経済的な合理性もすごく追求されてるらしくて、大量の木を使ったりしてぜいたくなように見えて、予算内に絶対収めるとか、工期内に絶対収めるとか、そういうところにはすごいこだわりがある。見えるところはおしゃれにするけど、見えないところはちょっと安く済ませるとか、そういうちょっとした妥協も受け入れて作られていて。
 なので、そこもあって、芸術家肌の人からちょっと嫌われてるようなところもあるという話を聞いたんです。でも、僕はむしろそこまで考えててすごいなって、さらに面白いって思うようになりました。
 いろいろ学んでいった中でも、対立してるのか同じほうに行ってるのかとかも、よく分からないんですけど。ただ、勉強していて、特に自分が建築士の資格を取るとか実務をやるとかいうほうで考えていくと、こういう理念的なこともいいけど、取りあえず手を動かすことも意識するようになって。
 正直1年生の頃に1回研究会に入った時、もともと好きだった哲学的なところでは太刀打ちできないなっていう、挫折感みたいなのを味わいましたね。

小澤 実務を通して、理念を見直していくエネルギーを感じたと。

丸山 そうですね。理念もいいけど、とりあえずもっと具体的に何かやれっていうようなところがあって。
 たぶん、実際に隈さんもそういう実務のすごい具体的なところを通して、それでむしろ強度のある思想を表現してるんだと思うんです。1回具体的なところを通らないと、本当に意味のある強度のある思想ってできないのかなって思うようになったところですね。

小澤 丸山君としては、まずは実務に就いていろんな事例を帰納法的にいろいろ学びながら、どっかでそのうち演繹法的に立ち返りたい、と。

丸山 そうですね。多分そういう方向になるんだと思います。これも1年生の頃の研究会であったエピソードです。立川にあるグリーンスプリングスっていうショッピングモールにフィールドワークに行った時に、研究会の先生がここはデザインがすごくいいけど、デザイナーよりもこれを許してくれた施主の人が偉いということをおっしゃっていて。
 結局、デザイナーとしてどれだけ力量があっても、それにお金を出してくれる人がいなければ実現はできないっていう意味なのだと自分の中で思っていて。なので、建築的な視点を持ちつつ、やっぱり自分がビジネスとか、さらには社会学などのマクロな視点ももともと持っていたので、それをうまく掛け合わせて、よりお金を出していく、いわばデベロッパーであるとか、そういったような立場から本当にいいものを引き上げていける人として、現場に関わっていけたらいいなというふうには思ってますね。

小澤 今度志木高には、創立75周年で多目的棟が建つ予定ですが、当時の授業を思い出して、何か提案などはありますか。

丸山 もうちょっと他の教室とかでやってることがオープンに見えるような感じになってもいいなっていうのは思ったりはします。
 特に、僕は2年生の時に理系選択をしなかったんで。理系のことから結構離れちゃってたんですけれども、今、ちょっと理工学部とかにもう1回行くようになって、もったいなかったなっていうのもあって。その辺を他の選択をしてる人が何をやってるのかもっと分かるような、そういうミックスされた作りになったりしてるといいのかなと思います。

樋口 丸山君は、もともとは起業したいという目標があったわけなんですが、どっかのところで建築っていう方向に変わっていくんだけれども、そのきっかけは、結局、何だったのですか。

丸山 やっぱり留学中が大きいような気はします。留学中、美術の授業も取りつつ、ヤングエンタープライズっていう起業体験プログラムみたいな部活で、1年間かけて商品を開発したんです。そこから販売までをやれっていうプログラムで、その時に僕たちは結構ユニークな商品を作りたいなと思って。
 カードゲームを一生懸命作ったんですけど、他の高校のコーヒーをちょっとおしゃれにパッケージングし直して販売するみたいなところが、むしろコンテストではよく評価されて。新しい物を作ろうとすることが、必ずしもビジネス的に評価されるとは限らないんだなとか、僕がもともと思ってたのとなんかイメージが違ったなっていうのは、あったのかもしれないなと思いますね。
 そこで、それだったらちょっと違うことにも手出してみてもいいのかなっていうのは、あったかもしれないです。あと、僕のもともとの癖として、いろんな物に手を出したがるっていうのはあります。

樋口 でも、特に建築っていうのにフォーカスしていくのは何かあったんですか。

丸山 やっぱり、アートの中でも特に、単純に純粋に "Art for Art's Sake"(「芸術のための芸術」)じゃなく、社会に対する関わりを持ちつつっていうところであったと思います。

樋口 そのツールが建物だったっていう。表現する場所というか。

丸山 そういう感じだと思います。それが一番仕事にもしやすいっていうのもありますが、社会に対しての関わりが持ちやすいんじゃないかなって思っています。

小澤 社会に出て、まずは日本から始めるとは思うんだけど、自分でまだフィールドワーク等で関わっていきたい場所はあったりしますか、海外で。またぜひ行ってみたいなとか、仕事してみたいなとか。

丸山 いま中国語の勉強もしてるので、それこそ中国とかシンガポールとか、その辺の国には行ってみたいなとはずっと思ってますね。
 留学中に中国の人から中国人だと思って声を掛けられることが結構あって、中国語で何か言ってくるんだけど、何言ってるのか分かんないみたいなことが結構あって。
 ただそこで思ったのは、自分アジア人なのに、漢字文化も持ってるのに、なのに中国語一切分からないで、全然違う遠い国の英語だけ勉強して何やってるんだろうなっていうのは、ちょっと思ったところがあって。
 中国の人が駅でちょっと困ってるふうに話し掛けてきた時も、全然分からないし助けてもあげられなかったっていうのが悔しくて。それでやっぱり、自分のルーツというか、そこのアジア人であるっていうところに戻ると、やっぱり、アジア圏にももう少し目を向けなきゃいけないなっていうのが、すごい遠くに行ったからこそ、もっと近くを見てなかったなっていう気付きがあったと思います。

小澤 ヨーロッパとアジアの建築や都市や文化を両方体験してきてみて、今、その違いとか共通点について面白かったりとか思うことあります?

丸山 街の作り方として、ヨーロッパと日本で明確に違うなと思ったのは、駅の位置付けです。ヨーロッパは鉄道ができる前にすごい街の構造がしっかりできてるので、鉄道って町外れにあるものみたいな感じがあって、ロンドンなんかはたくさんの駅が街の周縁部にある。そこをつなぐ山手線みたいなのも地下鉄になってしまってますし、駅ビルとかも全然ないんですけど、日本は駅がど真ん中にあって、駅ビルがあって、そこから放射状に広がってくみたいになってて。東急さんとか阪急さんとかのまちづくりの影響も多分あるのかもしれないですけど、その辺の交通とまちの関わりみたいなのは、明確に違うなと思いますね。

小澤 面白いですね。中国とかはどうなんだろうね。

丸山 もしコロナがなかったら、もしかしたら1年間ぐらい留学とかもしてたかもしれないんですけどね、大学時代に。

小澤 でも大学院に進学でなく、まずは仕事について実地で。

丸山 今、明確に研究したいことが具体的にあるわけでもないので、それだったら、1回社会に出て何が必要とされてるのかっていうのが分かってから、戻ったほうがいいなと思うんです。

小澤 じゃあ残る1年間で、どんな論文や卒業制作をしたい?

丸山 SFCでは論文も制作もできるので、文章一切書かないでアート作品だけみたいなのもありなんですけど、建築作品にするなら設計もしつつ、その背景の社会的な意義の議論をする論文と併せて、いわゆるスペキュラティブアートみたいな感じで建築をとおして社会に何か提案ができるような形で、まとめられたらいいと思っています。

小澤 問題解決型の作品とか、それについての問い自体を出していく感じですね。

丸山 そうですね。問題提起とか問題解決とか、そういう感じになると思いますね。
 今なんとなく考えてるのは、実際にやるか分からないですけど、日本の住宅ってすごい貧しいなっていうのを正直思ってるところで。造りとしても木造だったり軽量鉄骨だったりに、なんとなくレンガっぽく見えるボードを貼ってるだけとか。しかもせっかく建てたのに、減価償却すると20年ちょっとで銀行からの評価額って0円になっちゃうし。
 それでどうせまた空き家になるかつぶすかになるんですけど、イギリスとかだと、ホームステイした時に、この家は1800年からあるんですよっていうのとかが結構あって。日本も、もともと法隆寺など木造でもずっと残ってるものがありますから、木造だから燃えちゃってなくなってるとかいうわけでもないので、どうしたらそれが戻ってくるんだろう、と。
 制作と、あとそれから建築の個別のデザインと合わせて提案できるといいなっていうのを、ちょっと考えてますね。

小澤 長持ちする家と場みたいなのを、つくっていきたいんですね。

丸山 そうですね。

森山 ゆくゆくは東京を大胆に変えてみたいというような野望はあるのでしょうか?

丸山 そうですね。ただ、今の時点でそこまで大きくっていうよりは、小さなことを積み上げていくほうがいいのかなっていうのは思いますね。特に最近は、トップダウンというよりボトムアップでやっていく方が良いというのが、なんとなく風潮としてもあるような気はしてまして。
 大学に入って、哲学的なすごい抽象的な議論で歯が立たなかった感覚がちょっとあるので、やっぱり小さな、本当に身の回りのことから積み上げてくしかないんじゃないかなっていうのもあります。そこから湧き上がってくる哲学こそ、強度があるのかなと。なので、去年の自分を毎年ちょっと否定して、それを乗り越えていくみたいな感じはありますね。

未来を見つめて

小澤 大学3年の時に乗り越えるべき自分って、どんな自分だったんですか?

丸山 3年生になって、特に就職活動を始めてなんとなく意識するようになったのは、どうしても何か一つの専門性というか、何かフォーカスっていうのは絶対ないといけないのかなっていうのは思っていて。
 それは2年生の頃とか、大学2年に限らずそれまでずっとあったのかもしれないんですけど、自分の中でいろいろ教養があるだけでいいんだみたいに思ってたのが、やっぱりそれじゃどうしても駄目で。教養があるに越したことはないと思うんですけど、それはある程度社会の中で発言権や地位を得てからこそ役立つものなんだろうなと。
 そこに行くまでは、やっぱり一つ専門家として実務をこなせるようにならないといけないんだなっていうのはあって。そこが甘かったというか、自分は結構広がってっちゃうような傾向があるんですけれども、ある程度それを抑圧してでもとがってかなきゃいけないんだなというようなことは思います。

小澤 就活しながら、探す感じなのかな。

丸山 探す、そうですね。多分今やってる建築などを使って、今あるものの中からブリコラージュ的(寄せ集めのもので創造すること)に、なんとなく貼り合わせて作ってくんだなと思いますね。

樋口 じゃあ、もう建築は割と自分にはフィットしてて、割と好きっていう感じなのかな。

丸山 そうですね。でも、建築のいわゆるアトリエ系って言われてるような、本当に芸術家肌の世界はやっぱちょっと違うなと思って。
 それよりは、もうちょっと他のものと掛け合わせつつっていう感じだと思うんですけど、一つの軸としてはいいなと思います。アトリエ系に行くと、授業で模型を作りながら、研究会でも別の模型を作りながら、趣味でも模型作って、もう寝ないでずっと模型作ってるみたいな人がいっぱいいて。ちょっとそこにはかなわないなっていうのが正直なところで。

小澤 さっきの話から考えると、現実的にビジネスで請け負える仕事の中で、でもとんがってる、自分が培ったアート的な部分を潜ませていくみたいなのをやりたいのかな。

丸山 確かにそうですね。

樋口 仕事人間で。

小澤 お客さんとしては、特別アーティスティックな人とかでもなくて一般的な人なんだけど、その人たちに自分が培ったものを満足してもらえるように仕組んでいく感じなんですかね。大きなビルじゃない、それこそマンションや一軒家の規模でやりたい感じですか。

丸山 スケールとして、そこまでこだわりがあるわけではないんですけれども。ただやっぱり現実的に、隈さんがそれこそ実際に予算の中でやりながら、でもちょっと面白いことを混ぜるみたいなことだと思います。規模というより、どっちかっていうとそういう手法とか身ぶりとして、面白い方面に行きたいなと。

小澤 もう来たら仕事はなんでもやるぞっていう気持ちで、その中でそれぞれ自分にしかできない何かを忍ばせながら、でも仕事の枠は守ると。

丸山 そんな感じだと思います。文学だけやって後は切り捨てるとかいうふうにはしなかったというか、できなかったので。やっぱりその辺は芸術家としてとにかくとがりまくるみたいなのは、多分できないっていうところがあると思うんですね、自分の性格として。

樋口 ずっと模型を作れないっていうことだね。

丸山 そうですね。

小澤 コンペイトウみたいにいろんなとんがってるものがある、うにょうにょした「球」になると。でも、やっぱりとんがりに対する敬意、多様なとんがりへの敬意は持ってるし、自分もそれは内包したいって気持ちが強いっていうことですね。

丸山 そうですね。なのである意味、どっちかっていうと、一つのところでとんがりきれないっていうのは、何かの天才ではないっていうのが多分あるんですね。
 自分が天才だったら、それ1個で他の人が100のところを1万とかいければそれでいいけど、150とかだとそれじゃ駄目だから、100と100を掛け合わせて1万を作れみたいなことよく言われます。多分自分はそういうふうにやっていくしかないんだろうなっていうのは、なんとなく思ってます。

小澤 そうしたことを考えるときに、やっぱりSFCっていうのは、すごく自分には向いてる感じがしたんですね。

丸山 そうですね。ただSFCは結構1個のところで1万とか2万みたいな人もいるので。
 本当にもう、それこそプログラミング系とかだと高校の頃からすごくて、大学院生なのに博士レベルの論文を海外誌に出してくみたいな人とかもいて、そういう人にはかなわないなっていうところはありますね。

樋口 でも、そういう人から見たら、多分なんでもできる人たちはいいなって思うと。もっとバランスよく仕事できるだろうしなとか、きっと思うんじゃないかな。

丸山 「隣の芝」かもしれないですね。

小澤 1点突破系の人と総合系の人がいろいろ交ざり合った研究会もあるし、各人が渡り歩いたりとかしてるんですよね。将来的にこの人と一緒に仕事したいなとか、また一緒になんかやりたいなって人とかもいますか。

丸山 今も建築系のコンペに参加しようとして準備してるところなんですけど、そこでも、自分が授業で知り合った人を誘ったりしてて、そういう人とは仕事でも一緒にやりたいなと思いますね。

楽園より

小澤 志木高に入って、留学も行って、そしてまた志木高に帰ってきて、そこからSFCに進学しました。今振り返ってみて、志木高のどんなところを、受験生や後輩にお薦めしたいですか。

丸山 僕の中で志木高を位置付けるとしたら、やっぱりそれって「学園」の極みのような場所だと思います。
 ガーデン(園)って語源としては守られている楽園みたいな、囲われていて外部から守られて、そこで楽しめる場所みたいな、そういった語源があるっていう話を聞いたんです。そういった意味での「楽園」としての学園なんじゃないかなっていうのは、すごい思っていて。
 志木高の中にはいろんな個性がある人がいますけど、それが全部許容される。本当に伸び伸びと守られた中で自由に自分の興味を、それこそ高校卒業後すぐ就職があるわけでもないので、実際に役立つかどうかとも関係なく、自分の思い通りに追求できたなと思っていて。それは、本当に志木高の何よりの良さだと思います。
 授業もユニークで、自分の興味を刺激するようなことがたくさんあります。それは、中地さんに教わった『となりのトトロ』のエンディングで、「子どもの時にだけあなたに訪れるすてきな出合い」ですか、そういった歌詞があったと思うんですけれども、志木高って、まさにそれだなっていう感じがします。この森の中で、ここでしかも、高校の時代の今しかできないこと、できない出合いっていうのが、たくさんあったなと思います。

小澤 特にどんな出合いが面白かったですか。

丸山 全般として、まず勉強が楽しくなったっていうのが、それはもうたくさんの先生方との出合いの中で、受験勉強とかもなく、純粋に面白いと思えるような授業を皆さんやろうとしていて。しかも先生方も自分の興味を持ってる、自分の好きなことを表現してるようなところでもあると思うので、そこで学問っていうものそのものに出合ったような気がしますね。

小澤 そうした楽園のようなところにいながらSFCを選んだわけだけど、今、その辺でポケモンのように生徒たちが楽園を満喫しています。自分がSFC生として、「ヘイ、カモン!」じゃないけど、こういうとこいいよみたいなことがあれば。

丸山 SFCは、楽園の好対照ですね。
 SFCと志木高は、慶應の本キャンパスから隔離されているっていう意味では多分共通点がある。実際に、森の中にあるっていうのも同じだと思うんですけれども。
 ただ、SFCは「社会の縮図」みたいな感じがあって、それこそもう1年生の頃から仕事して、図書館で、「お世話になっております、ご注文ありがとうございます」とか電話してる人がいたりして、なんなんだここはっていう感じなんです。
 仕事ができるようなスキルを持ってる人もたくさんいますし、世界を放浪した後に20代後半で入学してるみたいな人とかもいたりして、本当に「社会の縮図」っていう感じで、その学校の中で自分の立ち位置を探っていくことが、社会の中での自分の立ち位置を探っていくことになるような、そういう場所だなと思っていて。
 ただ1つ志木高生について言えるのは、大学を受験して入学してくる人って大学が勉強する場でもありつつ、社会に出て行く場所でもあって、慌ただしいと思うんですけど、志木高生は志木高が学問をする場としてもう既に手前で準備されてるので、今度は社会に接続していく場としての大学っていうふうに考えると、すごいいいのかなっていうふうに思いますね。ただ、とはいえ、やっぱりなんのやりたいこともなく来ると、SFCってすごい、特に発散しちゃうタイプの人間にとってはいろんなことやってて何者にもなれず終わるという可能性もあります。その辺はちょっと危険性はあるとは思いますね。
 学部選び全般だと、意外な学部に意外な学科があることがありまして、例えば理工学部では管理工学科というどっちかというとビジネス寄りの科があって、経済学部にあるのかなと思ってたようなのが理工にも意外とあるんだなと言うのを大学に入ってから知りました。
 学部名、学科名とかにとらわれずに、内実を見て考えてもらいたいなと思います。

小澤 志木高生たちは十分に楽園に浸ったわけだから、自分のアイデンティティーとかビジネスとか、さらに極めるべき学問とか、もっといろんな選択肢があることを、巨視的かつ微視的に、大学の現場で見てほしいんですね。

丸山 そうですね。それこそ私自身も、2年生の頃はいろいろやってていいと思ってたけど、就活するようになってようやく専門性があったほうがいいんじゃないかと思いました。
 それをもっと早いうちから、それこそ志木高の頃から考えててもよかったんじゃないかなとか思います。だからって、じゃあ逆に、志木高の頃からそれを真面目に考えてたら結果として良くなってたのかって、ちょっと分からないですが。そういう視点を持っててもよかったなと、自分自身の例としては思っているっていうところですかね。
 人によっていろいろ段階もあると思いますし、むしろ最初とがってたけど広がってかなきゃいけない人とかもいるのかもしれないです。

樋口 そっちの人も多いだろうね。

森山 きっと、様々な経験がのちのち繋がってくることがあるでしょうから、最終的には自分の経験を肯定することになるのでしょうね。


 

[付記] 
 インタビューから約半年後の2023年3月現在、丸山君は建築系の研究会にて勉強を続けています。卒業後は、不動産開発に携わる企業で、資金運用の仕事に就くとのことです。