龍野和久君(1951年卒)

ラグビーと出会った志木高

alumni_tatsuno.jpg今年80 歳を迎える私は志木高から慶應義塾大学を経て、食品容器業界に進みました。会社では副社長・相談役などを務めさせて戴きましたが、その一方で仕事の傍ら高校時代から親しんだラグビーも2019 年ワールドカップの日本開催を決定させたのを機に関東ラグビーフットボール協会会長の職を辞し、今は特別顧問として広くスポーツ業界発展のために尽力しております。若い頃を振り返ってみますと、当時は缶やガラス容器がプラスチック容器へと変わる転換期で、工場での材料の入れ替え、廃物容器の処理問題など今思えば大変な仕事でした。

私が志木高に通っておりました頃は志木の町は緑豊かな田園の町でした。終戦直後の食糧難時代でもあり、学校で農作業なども行っておりました。広々とした畑を見ながらこれがグランドだったらと思ったものです。今の素晴らしいグランドとは隔世の感があります。志木高で私を指導して下さったエジンバラ大学出身の先生からラグビーの素晴らしい話を聞かせて戴き、私はすっかりラグビーの虜になってしまいました。当時の志木高には未だラグビー部が無く、慶應義塾大学の練習に参加させて戴いたものです。志木高での努力は実を結び大学では全日本学生代表にも選ばれ、卒業後も1959 年にケンブリッジ、オックスフォード大学連合軍が来日した際には全日本チームの主将として戦ったことが想い出されます。志木高にラグビー部を創設、監督、OB会会長として今日迄努めさせて戴きましたが、志木高から始まったラグビー人生は私に多くの事を教えてくれました。「自分のことより周りのことを考える」ということ、二つ目には激しい練習によって「不可能を可能にする」という挑戦の意欲を教えてくれたこと、また一番良かったと思うことは私達には素晴らしい仲間が沢山いるんだということを教えてくれたことでした。その仲間達に助けられ、私は厳しい実社会で強く生きていくことが出来ました。これから我が母校の志木高校を目指して来る諸君には学問、スポーツ、趣味など何でも強い意志をもって挑戦し、多くの仲間を得て立派な人間に成長して戴くことを心から願っております。

(『学校案内』2012~2013年度版より転載)