森脇章君(1988年卒)

「人間力」を養った志木高生活

alumni_moriwaki.jpg「自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず」。 これは、当時国語の授業で使用した教材に書かれていたもので、「脩身要領」の一節です。その授業は、「與る(=あずかる)」、「譬へば(=たとえば)」など、正字(いわゆる旧字体)を用いて書かれた「学問のすゝめ」を読解するものでした。その他にもいわゆる変体仮名で書かれた源氏物語を読む授業など、当時はユニークな授業がたくさんありました。部活は卓球部で、決して強い選手ではありませんでしたが、毎日練習に取り組んでいました。余暇で初めて法律書を手にしたのも志木高生のときでした。

いろいろなことに没頭しましたが、義務的に行ったことは何一つありませんでした。勉強しなさい、という先生は一人もいませんでしたし、生活面においても、極めて規則が少ないのが特徴でした。

この自由な校風から得たもの、それは「自律の術(すべ)」ではないかと思います。自由な環境の中で、様々な性格や能力を持つ友達と関わり、社会との関わりを増やしながら、自らの「適性」、「立ち位置」のようなものをおぼろげながら感じ、「やりたいこと」、「やった方がよいこと」、「やるべきこと」などを自ら見出して整理し、ひたむきに走る...。今思えばそんな人生の飛行訓練をする場であったと思います。

無論、そうした自由な環境は、先生方の存在なしには成り立ちえないものです。やはり多感な成長期であり、奔放・無秩序な環境が許されるわけはなく、学生からみて自由にみえる環境も、先生方が実に適切な程度に関わりを維持しつつ、遠目に温かく見守っていて下さるからこそ成り立つものです。

私は今、弁護士をしています。日本をはじめ10 以上の国(地域)の弁護士が300 名ほど所属する事務所で、私は、海外と関わりを持つ取引などに携わり、中国やその他のアジア地域を飛び回る生活を送っています。組織は大きくても「自由業」であり、常に自分で新しい道を切り開く自由な発想が求められます。依頼者に適切な解決策を示し、取引をまとめ上げるのにも、法律知識だけではない「人間力」ともいうべき総合力が求められます。私もまだ未熟者ではありますが、その礎は志木高で培うことができたと思っています。

同窓生のつながりも非常に強く、約100 人の同期生がFacebook でつながっています。また、同期会を開くとやはり100 名近くの友達が集まります。その中で、子供を志木高に入学させたというニュースをちらほら聞くようになりました。数多くの同窓生が子供を入学させたいと願う学校であるという事実こそが、この志木高の不変の魅力を物語っていると思います。

最後に、これから入学される皆さんが、この自由な校風の中で、生涯の友を得、「人間力」を身につけ、広い社会に飛び立たれることを祈念してやみません。

(『学校案内』2014~2015年度版より転載)