イルカを食べて感じたこと

1. 給食について考えること

「イルカって食べられるの?」
これは、僕が日本語各論の授業を受けて思ったことの一つだ。もちろん、同じ哺乳類で海に住むクジラなら食べたことはある。小学校の頃に学校給食で食べたクジラ肉のステーキを僕はよく覚えている。そのころは当然だけど、日本が現在抱えている捕鯨問題のことなど全く知らなかった。

だからそのクジラ肉のステーキを食べたときは、純粋に、「ちょっと固くて、食べにくい変なお肉」としか思わなかった。僕は給食に限って言えば口に入れるもの一つ一つをおいしいなあこれ、とかいちいちじっくりと味わいながら食べたことはなかった。もちろんそれは僕だけじゃなくて他のみんなもそうだったんじゃないかと思う。僕は普通の小学生で、毎日普通の食生活を送っていたのだ。朝起きると「朝ごはん」を食べて学校に行き、お昼には「給食」を食べ、夕方家に帰ると棚にあるお菓子を食べてテレビを見ながら「夜ごはん」を待つ。これはいたって普通な食生活だと思う。

話は変わるけれど、神奈川県の中学校には給食がない。だから僕の給食生活は小学校で終わっている。中学生になって、友達とたまに小学校の頃の給食の話をした。だいたい、毎日代わり映えのないお弁当を食べていると少しは給食が懐かしく思えてくるのである。そうすると給食はおいしかったなあとか思うのだけどもう遅い。そう思うと小学校の先生って素敵な職業だと思う。毎日給食を食べられるのだ。ただ、小学校の先生は先生で、毎日給食を食べていると「小学生時代」にもどってしまって、もう給食を給食と思えなくなってしまうかもしれないけれど。僕らが給食について話すとき話題にあがることその一、牛乳。給食において、食べ物を食べるときに一緒に飲むものというのは、ほとんど必ずと言っていいほど牛乳だった。月に一度か二度、飲むヨーグルトプレーン味が出るけれど、それを除けばほとんど毎日が牛乳である。逆になぜたまに飲むヨーグルトプレーン味が出てくるのか疑問に思うほどである。さて、こうなってしまえば牛乳がお茶みたいな存在になる。だけど、普通に考えればご飯を中心とした食事において牛乳を飲むのはおかしい、給食生活を卒業して6年ほど経った僕にはそう思える。多くの人はお茶、もしくは水を食事の際に飲むと思う。これは僕もそうだ。僕は紅茶が好きで良く寝る前にストレートで飲んだりするけれど、ご飯と一緒に紅茶を飲むことはしない。これは牛乳も同じだ。だけど「給食」という空間においてはご飯と牛乳というのは、問題視されるような組み合わせではなかった。僕は平然と牛乳を飲み、ご飯を食べていた。それが当たり前のように。だけど今になって、たとえば食堂で定食を頼んで一緒に出てくる飲み物が御茶や水ではなくて、牛乳だったとしたら僕はおそらくそれを飲まないだろう。

ある意味、異常な空間が日常として固定される「給食」。そういう食事をいちいち覚えているなんてことないはずだけど、クジラ肉を食べた時のことは今でも鮮明に覚えている。なぜかはわからないけど、子供ながらにそのクジラ肉というものが持つ独特な雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。 イルカを食べたことについて書くために、なぜこんなにも「給食」について長々と話しているのだ、と思うかもしれない。だけど、根本的に僕がイルカを食べてみたいと思うようになったのは、実はそういう記憶からなのだ。小学校の給食でクジラ肉が出たのは異常だった。僕はこういう答えを出す。クジラを食べるのは日本の食文化だ!と叫ぶ意見を、捕鯨問題について勉強した際に僕は数多く目にした。だけど、そこには明らかな嘘が数多く存在していると思う。作られた事実だ。こう思うようになったのは、改めて給食でくじら肉のステーキを食べた時のことを考えたからかもしれない。「みんなは無理をして食べているんじゃないかな?」僕は給食でクジラ肉を食べたときそういう風に思った。思ってしまったのだ。少なくとも僕にはそう思えたその雰囲気について。僕の記憶に残っているのは、あの固いクジラ肉の味ではなくて、ただクラスの皆が作り出していたその雰囲気である。

2. イルカを食べたお店、食べたもの について

店の情報

名前:魚河岸 大作
住所:静岡県静岡市葵区黒金町4 アスティ静岡 アスティ静岡東館 電話番号:054-281-8700
僕が訪れたお店の名前だ。店員さんはとても親切にしてくださって、幾つかの質問に答えていただいた。そして今回、ホームページを作るにあたって、これをインタビュー形式の文章にして載せようと思う。

食べたもの

・イルカの蒸し身
イルカのヒレを蒸したもの。コロコロしておいしい。
噛み応えがあり、噛めば噛むほど味が出てくる。臭みは全くない。
みそのタレと一緒に食べた。

・イルカの味噌煮
イルカのお肉としょうがを味噌で煮たもの。
だしはおでんのような味。肉だけの部分と、皮がついて脂が乗った部分の二種類のお肉が入っていた。とってもおいしい。これも臭みがなくどちらかというと、くじら肉に近い味がする。
もちろん、おでんのようにカラシをつけて食べられる。

・イルカのタレ焼
イルカにタレをつけて焼いたもの。焼いてあるから硬いと思ったがそうでもない。食べやすくおつまみのよう。マヨネーズをつけて食べた。おいしい。これも臭みがなくて気軽に食べられる。

以上の三つが、僕が食べたイルカの料理である。どれも本当に美味しかった。食べてよかったと思う。

19_impression01.jpgまず、この二品が運ばれてきた。
初めて見るイルカ肉に少し驚いた。
特にイルカを蒸したものに関しては肉の生の色がそのままにわかるので衝撃さえ感じた。
僕はイルカ肉について、その形状や色などを具体的に想像することはしなかった。少し怖かったからだ。
そんな僕は初めてイルカの肉を生で見て純粋に、これがイルカ肉なんだと、そう思った。
味は二品ともとてもよかった。感想は上にまとめて書いたので見ていただきたい。とても食べやすくて想像していたイルカ肉の味(臭みがあっておいしくない)とは全然違うものだった。これなら毎日でも食べたいと思うし、ふつうに夕ご飯のおかずとして出てきてもいいなあと思った。

19_impression02.jpgタレ焼きはつい写真を撮るのを忘れてしまった。最初の二品を食べてから、店員さんと質問のやり取りをしていたからだ。

店員さん「どうだった?イルカの味は。」

自分「とてもおいしくて食べやすかったです。」

店員「ありがとうございます。若い人はけっこう食べられない人もいるんですよ。半分くらい残したりね(笑)でも、全部食べられるんですね。」

自分「もともと海鮮系のものは好きなので。全然臭みがないですよね。もっと獣っぽいあじがするのかとおもいました。」

店員「やっぱりそれは調理法が大事だからね。味噌煮については~(調理法についての軽い説明)、蒸したものは、もちろん蒸し方で臭みをとれる。」

自分「なるほど、通りで臭みがないわけですね。僕の友達は、クジラ肉を使って料理をつくったらしいですけど、とても獣っぽい味がしたみたいです。」

店員「うーん、それはしたごしらえをしないとだね。」

下ごしらえをきちんとすれば、クジラやイルカのお肉は臭みがなく食べられるようだ。もちろん、今回行ったお店はプロの方が調理しているから一概にとは言えないけど、臭みをとればおいしく食べることができるようだ。これはぼくにとって重要なことだ。イルカをおいしく食べるために下ごしらえをする。どうやったら臭みが抜けておいしく食べられるだろうか?先人たちがイルカをおいしく食べようと工夫した様子が伝わってくる。

19_impression03.jpg 自分「タレ焼きもとってもおいしかったです。うん、本当に三つとも全部おいしかった。 これらのイルカのお肉ってどこから仕入れてるんでしょう?」

店員「これはね、東北の三陸のほうから仕入れてるんだ。ほら、大槌港って知っているかい?東日本大震災の...」

自分「ああ、知っています。とても被害を受けたところですよね。」

店員「そう、そこだよ。震災が2011年だったけどちょうど2年前くらいからかな。そこからまたイルカが入ってくるようになった。イルカの種類はツバメイルカ。水族館で見るようなかわいいイルカじゃなくて、体にツバメの模様が入っているから、ツバメイルカ。それが入ってくる。普通のイルカ(水族館で見るような)は入ってこないんだ。」

自分「なるほど。そんなに遠いところから入ってくるんでしたら、肉は冷凍保存ですか?」

店員「いいや。ほかの肉のように冷凍保存したら、肉が固くなってしまって食べられないよ。基本は調理用の下ごしらえをする。やっぱりそうしないとおいしく食べられないからね。」

ここで店員さんが言っていたツバメイルカとはイシイルカのことである。バンドウイルカに比べるととても小型でくちばしがなく漁をしやすい形をしている。ちなみに太地町で獲られているのはバンドウイルカである。

自分「静岡も昔はイルカを獲っていましたよね。今はあんまりとってないみたいですけど。」

店員「ここ最近かな、あまり獲らなくなったのは。前は、静岡新聞にどれだけイルカが獲れてたかとか載ってたんだけどね。川奈とかそこらへんかな。」

自分「伊東のすぐそばですよね。夏に行ったことがあります。入り組んだ地形が漁をしやすいとか。」

店員「うん。その隣のスーパーの魚売り場に行ってみるといいよ。だいたいこの時期はイルカのお肉が並んでいるから。」

僕は、店員の方にお礼を言って、お店を出た。そのあと店員さんに教えていただいたように、隣のスーパーに行った。魚売り場を見てみたけど、イルカのお肉はなかった。静岡は海鮮品がとても有名で、地元の人も良く食べているようだ。僕の住んでいる神奈川ではアンコウやマンボウなど見たことがない。魚売り場を見ているだけで、水族館に来た気分になった。

3. イルカを食べて思ったこと

12月20日、土曜日。
僕は静岡を訪れた。イルカを食べてみたかったからだ。結果的にイルカを食べることができて僕はとてもうれしかった。新しい文化に触れた気分だ。イルカはそれ自体でいえばとてもおいしかった。また食べたいと思ったし友達にも食べさせたいと思った。

そのうえで、感じたこと。イルカを食べて感じたこと。捕鯨問題について意見を述べている人ってクジラとかイルカを食べたことがあるのだろうか。それは疑問。僕はこの度、イルカを食べることはできたし、そのうえで意見を述べるのだ。そうしたらイルカを食べることに賛成になるに決まっているじゃないかと思うかもしれない。それは当たり前だ。でも、べつにおかしいことじゃない。そもそも僕はイルカを食べることについて反対したことはない。食べる前も食べた後もイルカを食べることについては良いことだと思っている。だけど、僕が一貫して疑問なのは、それが文化であると押し付けられている状況に対してなのだ。鯨食は日本の文化だ。そういうありかたが理解しづらい。クジラ討論会で、文化について考えたことを覚えている。結局、自分の中で文化とはなにかという完全な答えは出すことはできなかったけれどその時は、やっぱり鯨食は文化じゃないと感じた。

昔の人、僕の祖父くらいの世代では鯨は高級食だったみたいだ。ぜいたく品であった。今はそうではない。これは少なからずモラトリアムの影響を受けているかもしれない。だけど、もしモラトリアムの影響を受けなかったとして今の時代まで鯨を食べることがふつうだとそういう風に続くことはあるだろうか。やはりどこかで淘汰されるべき存在なのかもしれない。それは西洋的価値観に基づくことかもしれないけれど、たとえば明治時代の日本はそれまでの時代とは到底比べ物にならないほど変化した。もちろん、前時代的な文化を保守しようとした人もいるだろう。けれど、結局そういう文化は淘汰されて、完全に化石と化した。歌舞伎や能だってそうだ。一度、進化の過程から外れた化石を発掘して想像している。本当に何が文化だろう。これは僕の大きな疑問だ。こういう疑問は簡単に解決できるものではない。辞書で文化の項目を見て理解できるようなことでもない。でもいつか文化とは何かがわかる日が来るかもしれない。そういう日には胸を張ってクジラやイルカをたべることは日本の文化だといえるようになるかもしれない。

僕がクジラやイルカを食べることに関して、今思うことというのは、それが地方の郷土料理であること。またそれらはとてもおいしかったこと。