軍用イルカについて

はじめに

イルカやクジラという動物にどのようなイメージを持っているだろうか。一般的にイルカやクジラは水族館では、ショーなどを通して子供たちからの人気者であり、かわいくて賢い動物というイメージがあるのではないだろうか。しかしアメリカでは、その賢さを軍事的に利用しようとしている。それらを踏まえて、今回はそのイルカやクジラの軍事的な利用方法などについて書いていきたい。

イルカ、クジラの軍事的な利用

17_military01.jpg ←米海軍海洋哺乳類計画に基づいて訓練されているバンドウイルカ
右ヒレに探知用ビーコンが装着されている。

図版出典:アメリカ合衆国海軍HP 
http://www.navy.mil/view_image.asp?id=5691

①主なメリット、デメリット

メリットデメリット
水中の深い場所での作業が可能 単純作業しかできない
繰り返しの作業に向いている イルカ、クジラの命を危険にさらされる
イルカ、クジラの感情を考える必要がない 言葉の壁がある
低い水温でも長時間作業ができる 水中でしか活動できない
危険な作業をさせられる 細かい作業に向いていない
  特殊装置が必要なため費用がかかる
  知能があるため逃げ出す

②軍用としての使い方の主な例

  • 水中で迷ったダイバーの救出
  • 海面下での機雷の捜索
  • 重要海域で軍用民間用の船舶を破壊するテロ行為を防ぐために使用
  • 水中工作員を殺す

海洋開発への利用

イルカ、クジラは人間をはじめとする陸上動物と違い、5400万年をかけて海の環境に適応して進化し海の生活者としての地位を確立している。イルカ、クジラは軍用としてだけでなく海洋開発にも利用することができる。ひとつ例を挙げると、マッコウクジラは3000mの深さまで潜ることができる。このことを利用すれば潜水艦の機能の向上等のことが望めるだろう。このように軍事といった形だけでなく、海洋開発のような人間の生活への助けてくれる存在であることも忘れてはいけない。

参考文献:
大隅清治、「クジラと日本人」、東京:岩波新書、2003年、207頁。
山川徹、「捕るか護るか?クジラの問題」、東京:技術評論社、2010年、189頁。

軍用イルカの歴史

1960年

米海軍の海獣プログラムが始まりまった。最初に、海軍は、障害物を検知するより効率的な方法を開発するため、イルカ、ベルーガ、及びクジラの水面下のソナー能力を研究していた。加えて、船舶および潜水艦の速度を改善するために、高速で泳ぐイルカを研究した。
海軍は、さらに海底の落下物の捜索のためにイルカなどの口で保持されたカメラを使用して、捜索を行う訓練をイルカ、ベルーガ・クジラ、アシカおよび他の海獣を訓練した。特にイルカは、ベトナム戦争とペルシャ湾の中で何回か使用された。この海獣プログラムは、冷戦中に最も多く使用されていた。ソ連の軍関係でも水面下を支配するために同様の研究と海獣類の訓練を行っていた。

1965年

海底居住実験の「シーラブ計画」が行われた。カリフォルニア、ラ・ホヤ沖の海底で生活しているアクアノート(ダイバー)にメールや機材をイルカの「タフィー」が運んだり、迷ったダイバーをハビタート(居住基地)へ連れ戻す役割を担っていました。「タフィー」は日に何回も水深60mまで潜って最初の海獣システムの演習を成功に導いた。

1965~75年

カムラン湾の警戒水域の確保に5頭のイルカが派遣された。この時、不法侵入者に対して殺人機器を使ったのではないかと報道されたが、根拠の薄い報道と判断された。

1975年

アシカ、ベルーガ、クジラを導入した。このプロジェクトは海底に落とした機器の回収を迅速に、確実に、安価で行うことだった。アシカは水深200mまでの落下物(ミサイル)を回収することができた。他の動物であるベルーガ、クジラはイルカ・アシカより深い水深、さらに低い水温でも活動できる。

1980年代

米海軍の海獣プログラムは、800万ドルの予算を使って多数のアシカとベルーガ(シロイルカ)・クジラ、そしてイルカは100頭以上も飼育・訓練して全盛期を迎えた。
1980年代の後半にはワシントン州での警戒水域の警備の計画があったが、動物愛護団体などからメキシコ湾で捕らえられたイルカを冷たい水域の北部へ配置することはイルカを傷つけるとして海軍を訴訟した。結果的に海軍はこのプロジェクトを放棄した。

1986年

議会が部分的に海獣保護法(1972年)を撤廃し、野生のイルカを国防目的で捕獲していた。海軍は機雷処理ユニットを拡張し、さらに繁殖プログラムを構築した。

1986~88年

ペルシャ湾へ出動したが、6頭のイルカで機雷の掃海、警戒水域の警備を行った。任務はペルシャ湾、バーレーンの湾内警備、クエートの石油施設で行われた。

1990年代

冷戦状態が終わり、米海軍の海獣プログラムは徹底的に縮小されていった。そしてサンディエゴのトレーニングセンターを除いてハワイとフロリダの施設は全て閉鎖された。ロシアも1990年代初めにイルカなどの訓練を終了している。こうして103頭のイルカは70頭だけになった。この時、海軍はイルカを自然の生息地へ戻すための計画に使われた。退役したイルカが自然の中で生活するための"リハビリ訓練"が必要なのである。また、退役した一部は水族館などへの提供が申し出られたが、4件の問い合わせしかなかった。

1994年

フロリダ、キーの近くに3頭のイルカを飼育して自然の海へ戻す教育が行われた。

1997年

ソ連の海軍が訓練したウクライナのイルカは、今アメリカにいて自閉症で情緒不安定の子供の治療のために活躍している。

出典:山田海人「軍用イルカの歴史」、閲覧日:2014年12月24日
http://chikyu-to-umi.com/kaito/dolphin3.htm

その他の動物・生物兵器

杉本恵理子『戦場に行った動物たち―きっと帰ってくるよね』には「馬、伝書鳩、ゾウ、ロバ、ヤギ、クマ...」といった動物たちが紹介されていた。この軍用動物たちについてもまとめてみよう。

17_military02.jpg 馬は元来から人や荷物の運搬に使われてきた。すなわち軍では戦車を引かせたり人を騎馬させた騎兵を組むこともあった。
しかし戦士が分厚い衣類や甲冑で身を守っていたり、防護服を着ているときは防護が難しい馬が狙われていた。しかし第1次世界大戦では防護マスクをかぶせられた馬の写真も記録されている。

←第1次世界大戦時、砲兵隊の軍馬にガスマスクをつけて訓練するイギリス軍兵士。西部戦線

図版出典:エドワーズ・M・スピアーズ「化学・生物兵器の歴史」上原ゆうこ訳、東京:東洋書林、2012年、304頁

鳩は伝書鳩として通信手段として軍用でも使われてきた。杉本、前掲書には「イギリス軍の伝書鳩マリーは、大事な文書を脚につけて 第二次大戦の空を飛び続けました。 ある日、司令部に戻ったマリーの胸は、ざっくりと裂けて骨が見えていました。あるときは片翼を失い 小さな体に3発の銃弾が残っていました。 胸の傷は、鳩を阻止するために 敵軍が放ったタカに襲われたもの。失われた翼は、銃で撃ち落とされたのです。マリーはどんなときも前だけをみつめ、羽ばたきを止めません。大事な手紙を届けるために。」(1)という記述がある。

ゾウ

ゾウは体格をいかして古くから戦象として利用されてきた。インドなどで使われてきた。「敵の隊列に突っ込んでの粉砕」「背中に弓兵や槍兵を乗せての攻撃」「象の牙などに刃物を装備させ、象自体での攻撃」等に使われてきた。

ロバ、ヤギ

彼らは馬と同じように人や物の運搬、そして食料として利用されてきた。

今では昔と変わらず砂漠地帯や山岳地帯での乗り物として、また自動車爆弾や自爆テロの代わりとして使用されている。これらの動物に爆弾を仕掛けて爆破させるという攻撃方法も用いられるなどひどい扱いを受けている。

そのほかにも動物が持つ細菌が利用されている場合もある。

野兎病

肺が炎症を起こす、あるいはリンパ節が腫れ上がるなどの症状を示し最悪のケースでは全身衰弱で死に至る。
感染源:野ウサギ、リス、ネコ、ネズミ

Q熱リケッチア

症状はインフルエンザに似ており、発熱、頭痛、倦怠感などが2~3週間続く。リケッチアは他にも発疹チフスやロッキー山紅班病などを発病させる種類がある。
感染源:ウシ、ヤギ、ヒツジ、ネコ、ダニ、ノミ、シラミ、ツツガムシ

ペスト菌

患者は内出血のために皮膚が黒くなり徐々に衰弱していって、ついには死に至る。
感染源:ペスト菌を持ったネズミに寄生するノミがヒトにかみつく。

チフス菌

高熱や発疹を伴う細菌感染症の一種で「陽チフス」「パラチフス」「発疹チフス」の三種の総称
感染源:ペスト菌を保菌するノミのついたネズミを放った。(アメリカが第二次世界大戦時に使用された)

その他

朝鮮戦争の時にアメリカの飛行機がハエ、ノミ、クモ、カ、チョウ、鳥の羽、ハマグリ、汚染された動物を投下した。これらからペスト、炭疸、コレラ、天然痘、脳炎、陽チフス、リッチケア症を発生させた。

参考文献

  • (1)杉本恵理子「戦場に行った動物たち―きっと帰って来るよね」東京:ワールドフォトプレス、2006年、127頁
  • エドワーズ・M・スピアーズ「化学・生物兵器の歴史」上原ゆうこ訳、東京:東洋書林、2012年、304頁
  • 加藤朗著、「兵器の歴史」、戦略研究学会編、「兵器の歴史」、東京:芙蓉書房出版、2008年、152頁
  • いちらん屋、「http://ichiranya.com/about.php」閲覧日:2014年12月24日