日本の歴史書に見るイルカの姿

15_kojiki.JPGここでは、日本においてイルカがどのような存在であったのかを紹介する。


以下は『古事記』「中巻 仲哀天皇 六 気比大神」の引用である。

この場面は太子(おおみこ)が忍熊王(おしくまのみこ)を戦いで破ったあと、その戦いの穢れを清めるために、越前の敦賀に仮の宮を建てて休んでいた。これはその時太子が見た夢の物語である。

亦、其の神の詔ひしく、「明日の旦に、浜に幸すべし。名を易ふる幣を献らむ」とのたまひき。故、其の旦に浜に幸行しし時に、鼻を毀てる入鹿魚、既に一浦依りき。是に、御子、神に白さしめて云ひしく、「我に御食の魚を給へり」といひき。

また、上記の文の現代語訳を以下に記す。

また、その神が言うには、「明日の朝、浜にくるとよい。名前を変えるしるしの贈り物を献上しよう」と言った。そこで、その朝に、浜に行くと、鼻に傷のついたイルカが浦一面を埋め尽くすように浜に寄っていた。これを見て、御子が、使者を通じて神に申し上げさせるには、「神は私に食料の魚を下さった」と言った。

この物語の中で、御子はイルカのことを食料と言っている。つまり、この時代ではイルカは食料と考えられていたことが分かる。しかし、この場合のイルカは神が与えているものであり、一般の食料とは区別が必要であると考えられる。

【参考文献】
西宮 一民 『古事記』 東京:新潮社 1979年