7月3日(木)、3年生が国立劇場で行われた第86回歌舞伎鑑賞教室に参加しました。最初に澤村宗之助による「歌舞伎のみかた」の解説があり、休憩を挟んで『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』の一幕「土佐将監閑居の場」が上演されました。

「歌舞伎のみかた」は、風の吹く音や雪の降る音などの効果音について、現実の音と歌舞伎で用いられる音とを比べたり、同じ筋書きの物語を現代風と歌舞伎風の二様に演じてみせたりと、歌舞伎の特色がよく分かる内容でした。

続いて演じられた『傾城反魂香』は、宝永5年(1708)に人形浄瑠璃として初演され、享保4年(1719)に歌舞伎に移された近松門左衛門の作品です。近江の大名・六角家の御家騒動と、それに関わる絵師たちの物語ですが、上演された一幕の主人公は、かつて宮廷に仕えた絵師土佐将監光信の門弟・浮世又平(うきよまたへい)です。

光信の門弟・修理之助は、狩野元信の絵から抜け出た虎を描き消すことで師に認められ、「土佐」の姓を名乗ることを許されます。弟弟子に先を越された又平は、自分にも「土佐」の姓を名乗らせて欲しい、と雄弁な妻おとくを通じて師に頼みますが、ことばが不自由な又平に高貴な人々と会話の機会もある絵師は務まらない、と断られてしまいます。望みを失った又平は、死を決して庭にあった石の手水鉢に自画像を描きます。すると、絵は手水鉢の裏に抜け、この奇跡によって師に認められた又平は、めでたく「土佐光起」の名を許される、というのが物語のあらすじです。

虎の絵を描いたという狩野元信(1477-1559)は、正信を継いで狩野派の基礎を築いた室町・戦国時代の絵師です。この元信は宮廷に仕えた絵師土佐光信(1522頃没)の娘を妻としたと伝えられ、物語はこれをふまえています。一方、又平のモデル、「浮世又兵衛」とあだ名された岩佐又兵衛(1578-1650)は、戦国武将荒木村重の子または孫で、異なる時代を生きた絵師です。「土佐光信末流」と伝える史料もあるものの土佐派との関係は明確ではなく、江戸時代の初めに土佐派を再興した土佐光起(1617-91)とはもちろん別人です。物語とはいえ、時代を異にする名のある絵師をごちゃ混ぜに登場させているところに、江戸庶民の歴史感覚があらわれているのかも知れません。

 3年生は2年前、1年生の時に渋谷の観世能楽堂で能の「屋島」を鑑賞しています。能と比べて分かりやすかった、と話す生徒もいましたが、それでも300年前の物語。共感するのが難しいところもあったようです。この演目は江戸時代と近代以降で演出が変わり、又平の滑稽さから夫婦の情愛へ、強調されるポイントが変わっています。そうして積み重ねられた時間を知ることから、古典の持つ面白さに近づく方法もあるように思います。

また、この歌舞伎鑑賞教室には、台北・薇閣雙語高級中學からの留学生10名も参加していました。英語のイヤホンガイドで概略をつかみつつ、本校生徒に混じって観劇しました。歌舞伎では女性の役も男性の役者が演じることなど、歴史的な背景と繋がる部分にも興味を持ってくれたようです。

ちなみに、又平の弟弟子・修理之助を演じた中村梅丸は1996年生まれ。ちょうど生徒たちと同い年です。間もなく大学の学部説明会がありますが、進路を考え始めているはずの生徒たちは、同い年の歌舞伎役者の活躍に何を思ったでしょうか。