1.旧野火止用水跡

 本校の構内に貴重な歴史文化遺産が残されていることを、皆様はご存じでしょうか。江戸時代に作られた用水路「野火止用水」の水路跡です。2012(平成24)年6月、この水路跡の整備が行われるとともに、説明板の改訂がなされました。この説明板は、もともと2000(平成12)年3月に当時の本校生徒有志(志木の森運営委員会)によって作成されたもので、一文字一文字、手書きで丁寧に書かれ、取り組んだ諸君の熱意がうかがわれるものでしたが、識者から一部内容の誤りが指摘されたため、今回の改訂となりました。以下、新説明板の内容に一部補足をしながら、この歴史文化遺産についてご紹介します。


野火止用水は、1655(承応4)年に開削された、玉川上水最大の分水路です(榎本弥左衛門「萬之覚」)。江戸時代に「天領」(徳川将軍の直轄領)以外で引かれた唯一の分水路であり、全長は武蔵国多摩郡小川村(現・東京都小平市。東京都水道局小平監視所付近)から平林寺・新座郡野火止村(現・新座市)、同郡引又宿(現・志木市本町)を経て新河岸川(志木市)に至る(本流)約25km、平均底面は1mで、標高差を利用した自然流下方式によって送水されました(主として飲用水・生活用水として利用)。

 用水の成立については、川越藩主松平伊豆守信綱(1596~1662)が玉川上水を完成させた功績によって玉川上水の分水を許され(『新編武蔵風土記稿』によれば分水量は三分)、家臣で代官職も務めた安松金右衛門吉実(1611~86)に命じて開削させたとする説が一般的で〔新井白石『紳書』(1705~24年)・石野広通「上水記」(1791年)・小島文平「玉川上水紀元並野火留分水之訳書」(1803年)〕、信綱に因む「伊豆殿堀」という別称も知られますが、現段階では同時代の確定的な資料はなく、詳細は不明とせざるを得ません(東村山ふるさと歴史館『特別展図録 野火止用水』・湯沢正「野火止用水の開削」)。

本校に現存する水路跡は、西堀分岐点(新座市西堀1丁目付近)で分岐する本流・平林寺堀・陣屋堀のうちの平林寺堀の末流で(野火止用水の他の主な支流には「菅沢・北野堀」があります)、1728(享保13)年に分水されたと考えられますが、本校竹林の中の分岐点から北側は、のちに流路変更の改修がなされたものと推測されます。というのも、江戸時代には現在の水路跡から5~7mほど西に寄った、校内で最も低い場所を流れていたのを、後に水車を回すために水路を一段高い所に移し、現在の有朋舎(部室棟)の裏にあたる場所に水車(人工の滝)を作ったのです〔少なくとも1903(明治36)年にはその存在が確認されます〕。

 「山崎水車」とよばれるこの水車は、搗き物専門の水車で、隣保班とよばれる水車組合に属し、明治から昭和初期にかけては米長商店(高野源太郎氏)、ついで金子千松氏が精米のために利用(神山健吉「近世引又の水車」)、その後、財団法人東邦産業研究所の用地買収に伴って同研究所の所有に帰しました。水車は同研究所時代まで存在していたようです。

そして1947(昭和22)年、塾員松永安左ヱ門氏(1875~1971)の尽力によって同研究所の敷地・施設が慶應義塾に寄贈され、この地が本校に引き継がれると、次第に流域の宅地化などによる野火止用水の水質汚染が目立つようになり、ついには1973(昭和48)年に分水が停止されると、本校構内でも1976(昭和51)年に暗渠化、その後、1988(昭和63)年には流路も本校構内から敷地外に切り替えられました(翌年完了。旧暗渠は現在構内の雨水の排水管となっています)。こうしたなか、現在ここに残る水路跡は、旧野火止用水流域でも往時の原形を留める数少ない貴重なものです。

このような歴史文化遺産を、今後どのように維持・活用してゆくのかを検討することは、私たちに与えられた大きな課題のひとつといえましょう。

2000(平成12)年3月 慶應義塾志木高等学校(志木の森運営委員会)
〔2012(平成24)年6月 改訂〕


さて、今回の整備により、構内の流路跡の大半はその上を直接歩けるようになりました(お二人の用務員さんの作業の賜物です)。志木高生諸君、勉学に疲れた折、気分転換したい折など、一人で、あるいは友人を誘ってでも、先人の労苦に思いを馳せながら、この流路跡をぜひ歩いてみて下さい。志木高に居ながらにして肌で歴史を感じられる、素敵なことだと思いませんか?

【参考文献】
  • 東村山ふるさと歴史館『特別展図録 野火止用水 ~野火止用水・玉川上水の歴史を辿って~』(同館、2000年)
  • 湯沢正「野火止用水の開削」(『郷土 志木』〈志木市郷土史研究会〉第22号、1993年)
  • 神山健吉「近世引又の水車」 (『郷土 志木』〈志木市郷土史研究会〉第3号、1974年)
  • 志木市総務部市史編さん室 編集『郷土の地名』〈志木市史調査報告書〉(志木市、1988年)
  • 根岸茂夫「野火止用水」(『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1990年)
  • 井澤智浩・岡田吉央「校内に残る野火止用水跡について ―水車をめぐる流路変更のこと―」(『慶應義塾志木高等学校研究紀要』第41輯、2011年)
  • 慶應志木の森運営委員会「慶應志木の森運営委員会報告'99」(『欅』〈慶應義塾志木高等学校〉第8号、2000年)

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