2.制服自由化

制服自由化への道

本校は、学生生活の中でその服装は原則として自由です。

ふつう、高校の制服はその学校のアイデンティティを形作る重要な要素ですし、受験生の中には志望校を決めていく過程で制服のデザインを重要な判断項目としている方もいるようです。実際に学校の制服を変更する際にそのデザインを有名デザイナーにお願いする、ということはひと頃流行にもなりました。

そのような華やかな流れの中で、本校は伝統的な慶應義塾の制服が所定の服装となっています。しかし、通学する生徒を見てみると制服あり、私服ありで、かなり自由な雰囲気です。どういうことなのでしょうか?

慶應義塾の制服

自由化前の授業風景.jpg和装が中心であった明治初期の慶應義塾も、一時的な洋装の流行に始まり、洋服着用が公示されますが(明治33年)、厳密な規定はありませんでした。その後の様々な紆余曲折を経てようやく昭和15(1940)年、大学と高等部学生の服装規定により制服・制帽の形状などが初めて明文化されたのです。その後、大学はファッションの多様化という時流の中で私服が増え、現在その伝統的な制服は大学の体育会の学生を中心に着用されています。

そして現在、一貫教育校でこの詰め襟の制服を指定しているのが普通部、高等学校、そして志木高なのです。それでは、なぜ普段、制服を着用していないのでしょうか?

制服の自由化

制服自由化後の様子本校も開設当初は、学校生活において制服着用は義務付けられていました。しかし、大学紛争などが社会現象となっていた1970年代、学生運動、学生自治、自主獲得運動などの時流の影響を本校も受け、当時の生徒会を中心とする生徒たちが制服の自由化を求めて学校と交渉を始めていました。

そして昭和47(1972)年にまず夏服が自由化され、翌年には冬服が自由化されて今日に至っています。

ただし、その当時は制服が完全自由化されてもジーパンは認められていなかったという、時流を反映したエピソードが残っています。もちろん、現在は完全に自由です。

形式主義に囚われない、独立自尊である、という気風はこのような形で本校の中で生きていますが、社会的な節度もきちんと持ち合わせています。公式の場に赴くとき、大切なお客様をお迎えするとき、本校の生徒は制服を着用します。

ですから、「制服」と呼ばずに「所定の服装」と呼ぶのです。

【参考文献】

  1. 『慶應義塾史事典』,慶應義塾,慶應義塾大学出版会
  2. 『志木高五十年』,慶應義塾志木高等学校,精興社

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