中地 譲治

「ともだち・ひとりだち」とSNSのこと

nakachi01.jpg56期(2006年3月卒)の卒業生の作るSNSから「ともだち・ひとりだち」という冊子が刊行されている。私も寄稿と少々の印刷代の手助けをしている。卒業生として在校生に何かできることをしたいという気持ちを出発点として彼らは集まった。そして、部活動ならばOBとして後輩を指導するのはあることなのに、学校の本来的な学習活動においては、なぜ後輩にかかわり合うような機会が乏しいのだろうかという疑問を抱いたのだった。それならばメディアを作ろうということになり、現在までに4号を数える。そんな彼らの特質を、ここではいくつか考えてみたい。

一つ、彼らは往年の旧制高校のようなバンカラを巧みに今日風に昇華して、姿形に惑わされずに真理を追究する知的な男子のあり方をおのずと身に付けている。たとえば宮崎アニメの「コクリコ坂から」に描かれる高校には、ラテン語学生気質が生きている(本校のラテン語の鎌田先生は、彼らのよき理解者である)。行動力のある新聞部員はとてもジャーナリスティックだ。彼らにはそんな気質が多分にあった。本校は制服のない学校なのに、私服にならない今の在校生には、とても残念なことだけれど、ほとんど理解されなくなってしまった気質かもしれない。

nakachi02.jpg一つ、彼らは知的な獲得物を独占しようという気がない。人格的な触れ合いの中で、惜しみなく贈与する。かつて「千と千尋の神隠し」のロードショーを彼らと吉祥寺の映画館で観た後、猛暑の中、重要ポイントである調布市佐須町の虎狛(こはく)神社を訪ねて、その途上、深大寺で蕎麦を食べた時(先生はビール飲んで下さいねという言葉に甘えてしまった)も、「借り暮らしのアリエッティ」のロードショーを彼らと新宿の映画館で観た後、居酒屋に集った時(もちろん全員成人していました)も、物的な消費を嘲うかのように、和やかに談論は風発した。彼らの豊かな知的風土に啓発される、私にとってもこれからあるかどうかわからない、本当に楽しいひと時だった。

nakachi03.jpg一つ、彼らは慶應義塾の一貫教育の良さを体に染み込ませている。もちろん、志木高から慶應義塾に入学した者もいるけれど、三田の中等部の出身者に身に付いている知のリベラリズムには、同じ気質を持っている一般入学者たちを惹きつけてまとめていく、不思議な力があったと思う。それは家族や友人にも、教員にも同じに働く(もちろん私にも働いた)。2009年度の収穫祭で行った最初の講演企画「現役志木高生のための『大学案内』」でも、翌年の三田の法科大学院の教室で行った論文口頭発表会でも、中等部時代の恩師や、友人のそのまた友人の参画を得て、質疑も活発に行われた。

nakachi04.jpg一つ、彼ら自身が志木高のヒドゥンカリキュラムであった。時間割があって、教員がいて、入試で選抜された生徒がいるだけでは知的風土は豊かには育まれない。教員の実績や生徒の成績が優れていても、知識や認識や意識の深さや柔軟さは育まれない。生徒への世話を惜しまない教員だけでも、生徒を叱咤し奮起させる教員だけでも、暗黙知といわれ、明示化できない校風は育まれない。彼らの「自分」とは、「みずからの分」を所有することではなく、「おのずから分かれ出るもの」として分与することだった。その分与は滋養となって、校風という自然を、彼らにも無自覚に育てあげていたのだった。

「諸学校」に代わって「一貫教育校」という言い方がほぼ定着したけれど、志木高は慶應義塾の中では「一貫」したシャフト、つまり軸や柄の役割を担いながら、一方、「諸」方面への分化という特徴も失ってはいない。彼らのつくり出した集まり、名付けてSNS「ソサイアティー オブ ナカチルドレン スコラーズ」も、慶應義塾内諸私塾のような趣だ。

そして、彼ら56期生は「ともだち=共立ち」しながら「ひとりだち=独り立ち」して、編集者に、技術者に、商船マンに、弁護士に、教員に、経済アナリストに、中南米で行方知れずに......と、多忙を極めているからこそ、これからもこのスコラ(もちろん学校でもあるけれど、思索のための余暇を第一義とする)に回遊し、「ともだち・ひとりだち」への寄稿を続けるだろう。

最後に「SNSの三原則」を掲げておく。

  • (1)特権的知識はこれを相対化し、原初の「ことば」に解体すること。
  • (2)党派性・排他性を忌避し、単独者の矜持を維持すること。
  • (3)自己の被投企性を自覚した上で、連帯・参画を目指すこと。
これを少々わかりやすくして、
  • (1)私たちは、ひからびた学問の言葉を生活の場に奪還する。
  • (2)私たちは、頼るべき党派などはないということに誇りを持つ。
  • (3)私たちは、世界に投げ出された「私」だからこそ、連帯する。
さらにジブリ・バージョンにすると、
  • (1)メイのくしゃみの意味が理解できること。
  • (2)カオナシは「私」であると思えること。
  • (3)千尋の髪留めの輝きに感動できること。

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中地 譲治(なかち じょうじ)
担当教科:国語 囲碁将棋部部長、端艇部副部長

(2013年5月)